2012年03月01日

読売旅行・富士山篇 2

しらばくすると添乗員さんが「ほうとう鍋定食とすき焼き鍋定食とありますが、どちらになさいますか」と車内をまわって聞きにきた。翌日の昼食予約である。
「どっちおいしいんよ?」「教えてくれやなわからん」とおばちゃんたちに詰め寄られ、「いや、まぁ、お好みですが」と困っている。
車内は「ちゃぁる、ちゃぁる」と和歌山弁が飛び交っていて、どこまで行っても和歌山県。旅の醍醐味は日常から離れることなんだが、読売旅行にそれを求めるのは無理なのね。

名古屋港の近くを通るとき、バスガイドさんが「右下にずらっときれいに車が並んでおりますね。あれがここから船にどんどん積み込まれていきます」と説明してくれた。「わえの軽トラないわいしょ」とすかさず言うおいやんと、笑う紀州の民衆。まるで筒井康隆の小説『農協月へ行く』みたいで可笑しい。でも…ふと我に返ってうんざり。

「ずいぶん遠くに来たのに、ぜんぜん旅っぽくないなぁ」と残念に思いながら標識の地名を見る。「ここ、豊川やて」と母に言うと「いなり寿司のとこや」と即答。その後も「浜松やで」と言うと「ウナギやな」、「焼津」と言うと「マグロや」、「由比」と言うと「桜エビやん」と間髪入れず。
もうちょっとマシなこと言えんのかい、と思うが、自分の血筋を確認してしまってまたうんざり。朝が早かったのでちょっと寝たいと思っても、京唄子がしゃべりつづけているので眠れない。

どうにかこうにか数時間をやり過ごした頃、車窓に富士山が現れた。その日は曇り空だったので、たぶん見られないだろうとみんな諦めムードだったので、喜びもひとしお。

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「わえ、こんなん見れるとおもてなかっと」「あれぇ、うつくしわ」「夢とちゃわ〜」
おいやんもおばちゃんも感激している。もちろん私も喜ぶ。バスが向きをかえるたびに富士山の見え方も変わり「こらまたええわ」「あれぇ、こらまたええわ」「なかなかええのぉ」と賞賛の声。言うことがいちいちツボにはまるので、私はむしむしとメモを取る。

御殿場インターで高速をおり、まずはわさび田見学。
「山はあっても山梨県。山ないんかいなとおもたら山ばっかりや」と言いながらおいやんがバスをおりる。「それ、言わなあかんか…」と脱力しながら私も後に続いておりる。読売旅行って、へんなのっ!


posted by きたうらまさこ at 20:01| 旅のおはなし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月27日

読売旅行・富士山篇 1

なんと、あの、読売旅行にとうとう参加してしまった。足腰の弱り始めた老人たちを集め、トイレ付きのバスに乗せて旅行に連れていってくれるという、あれである。
私の中で、読売旅行はドモホルンリンクルと同じくらいの禁じ手だったし、はぐれ猿を自称している手前、旗振りのバスガイドさんに付いて団体で歩くなんて絶対にあり得ない。そう思ってバカにしていたのだが…。
河口湖への一泊旅行で19800円という安さと、雪道の運転に自信がないこと、相棒が母親、などの理由で「もうこれでええわ」と安易に手を出してしまった、という経緯である。

集合は早朝の駅裏、コンビニ前。いかにもな老人たち(60〜80代)が群れていて「ああ、やっぱりこんな感じなんや…」と一瞬どよんとしたのだが、近くに立って彼ら、彼女らの見てくれや会話を観察していると何だか興味がわいてきた。
最近、年寄りにえらい目にあわされることが続き、「社会における老害」に関心があったので、この機会にいろいろ学ぶのも悪くない。
バス到着まではまだ10分ほどあったので、缶コーヒーを買おうとコンビニへ入ると、ここにも、かばんを斜めがけにした初老の男性(和歌山弁では、おいやん)や、ラメ入りの帽子をかぶった初老の女性(こちらは普通に、おばちゃん)が、店内をうろついている。私も売り場をぐるっとまわって、都こんぶを購入。今回のバス旅行にぴったりのアイテムで、気分がやや盛り上がる。

母と合流してバスに着席。ラメ入り帽子のおばちゃんもやっぱり乗ってきた。添乗員さんは、20代半ばぐらいの男の子だ。新卒で入って2年目というところだろうか、ちょっと肥満で愛らしい。走り出したバスの中でマイクを握り「危ないので着席してください、着席してくださぁい」と何度も何度も弱々しくお願いするものの、年寄りはまったく耳を貸さずにうろつく。友達にお菓子を分けに行ったり、荷物を棚にあげたり、おろしたり、身勝手な御振る舞いだ。長生きしているからすぐれた人格になる、なんてことはない。年長者だというだけで甘やかしてはいけないのだ。
「河口湖まで立っとったらええやん」と私がぼそっと言うと、通路をはさんで隣のおいやんが「そやっ」と力強くうなづいた。良識あるお年寄りもいるのねと思いながら、都こんぶをしゃぶる。意外とおいしい。

バスガイドさんも50代半ばぐらいの和歌山のおばちゃんで、この方がえんえんしゃべってくれるので、まあなんていうか、京唄子と旅行してるみたいなもんである。それでもさすがに年の功。ずいぶんと勉強されているし、経験も豊富なのでためになるお話も多い。まだ若い私(この中では)が、平日に年寄りとバス旅行しているのに、ガイドさんは早朝から働いておられる。若い頃からずっとこの道で自立してこられたのだろうと思うと、尊敬せずにはいれらない。それに比べてわたくしは…と恥じ入りつつ、うつむいて都こんぶをぼそぼそ食べていたら「あんた、口のまわりに粉ついちゃぁるで」と母に脇腹をつつかれた。堕落の極みだ。




posted by きたうらまさこ at 22:31| 旅のおはなし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月16日

永遠の水玉、一夜の大黒

バレンタインの日、傘をさして大阪へ行ってきた。
目指すは国立国際美術館、草間彌生の「永遠の永遠の永遠」。
入り口で友人と合流し、いざ水玉の宇宙へ。

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私の文章力で草間彌生は書けんが、彼女の絵を観ていると、おでこが痛くなってくる。
チャクラが開くのかと思った。
「アートとはこういうもんよ」と、言葉じゃなくて作品で突きつけられる凄まじさ。もうね、作品がすべてよ。
だいたいアートなんて語られてもよくわからん。

LEDとミラーを使った「魂の灯」という作品は、閉ざされた小さな部屋の中で鑑賞する。
万華鏡の中に放り込まれたような、幽体離脱した世界のような。
部屋にいる時間は30秒。行列が長い時だと10秒で入れ替わるそうだ。
私の時はたまたま、1人で入れるという幸運に恵まれた。なんという贅沢。
キラキラうごめく光の中で呆然と立ちつくすこと30秒。

その日はカップルもよく見かけたけれど、やはり女性が多かったような気がする。
草間作品は女性たちが内包する狂気と共振するのかも。
封印を解いたら私は何が出てくるのかなとふと思った。水玉じゃないと思うけど、危ない危ない。
いや、意外と可愛いものが出てきて拍子抜けしたりして…。わからんね。


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帰りは福島駅まで歩いて、駅の近くで一杯。
偶然見つけた居酒屋、「大黒」のカウンターは居心地よろしくて5時から9時まで。
安くて旨くて、適度に愛想がなくて、「ええ店見つけたねぇ」とよろこんだ。
久しぶりに会った友人とは、「泣いた」とか「情けない」とかって話もいろいろ。
でも最後はとってもハッピーな話題で終わって、ふわふわしながら解散した。
何はともあれ、愛はとこしえ。


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posted by きたうらまさこ at 14:26| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月24日

湖北 菅浦

2年ほど前、余呉湖に行った帰り道、琵琶湖の奥に小さな集落をみかけた。
時間がなくて、気になりながらも通り過ぎたのだが、先日、白州正子さんの『かくれ里』を読み返していてはっとした。あそこだ…。
「湖北の中でもまったく人の行かない秘境」と白州さんは書いていた。
かつての菅浦は、舟で渡るより他に行きようがない僻地だったそうだ。彼女は舟で渡ったとは書いていないので、取材に行ったのは道路ができてすぐの頃だろうか。

「つい最近まで、外部の人ともつきあわない極端に排他的な部落であったという。それには理由があった。菅浦の住人は、淳仁天皇に仕えた人々の子孫と信じており、その誇りと警戒心が他人をよせつけなかったのである。」 『かくれ里』〜湖北 菅浦〜

私の頭は妄想で膨張。
もう行くしかないし、無理な距離でもないのでまたしても奥琵琶湖へ。
それにしても、行けども行けども琵琶湖。この湖の大きさには何度でも驚かされる。じょじょに湖北に入っていく時の風景の変化にも心うばわれるし、何やらもの悲しくなっていくのも私好みである。

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そうして、やっと、たどり着いた。
しかし湖っていうのは、なんでこう繊細でロマンチックなのか。海と山しかなくて、大雑把でわかりやすい紀州から来ると、この異質さにやられる。昔話の世界に迷い込んだみたいで、地続きの現世にいるとは思えないのだ。路地を歩く老人の姿を見ても、湖底に棲むフナかなんぞの化身ではないかと疑ってしまっていけない。

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ところで、
遠藤周作さんも菅浦に魅了された一人である。

「やがてその湖の奥にたどりついた。二月の午後、入り江のようなその地点の周りの山々は白雪に覆われ、冬の弱い陽をあびた湖面は静寂で寂寞としていた。車からおり、コートのポケットに手を入れ、私は長い間、まるでスウェーデンかノルウェーのフィヨルドに来ているような思いだった。」   『万華鏡』〜忘れがたい風景〜


彼はこの地点を「菅浦」とは書いていない。明かしたくないので、暗示めいた書き方にとどめている。自分だけの忘れがたい風景として秘めておきたいという気持ちと、日本にまだこんな場所があることを伝えたい気持ちがせめぎあったのだろう。
最後の行に、「これから冬にかけてそこを一人で訪れる方は決して失望しないだろう」と遠藤さんは書いていた。
「一人で」のところを強調し、わざわざ傍点を入れて。

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posted by きたうらまさこ at 22:46| 旅のおはなし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月17日

福を呼ぶ鬼

15日の和歌祭シンポジウムは大盛況。演舞が終わって幕がしまる時、たくさんの観客が両手を頭上にあげて大きな拍手を送っていた。その時の表情がとても生き生きしていて、楽しそうで、満足げ。ヒトってやっぱり本質的に祭りが好きな生き物なんじゃないだろうか。忘れているだけで…。

           ↓写真は和歌祭の鬼。
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必要以上に祭り好きな私は、前日の14日にも奈良県五條市の「鬼走り」に行ってきた。シンポジウムの準備が夜までかかるかも、と思ってあきらめていたのだが、意外に早く終わったので。
たいへん寒かったのでしっかり厚着をし、途中、丸亀製麺でしょうがをたっぷり入れたきつねうどんを食す。450円とは素晴らしい。おしゃれなカフェより丸亀製麺!!と思わずにはいられない。

夜8時頃、五條の集落に到着。車をとめた公園から、鬼走りのある陀々堂(だだどう)までは真っ暗な道を20分ほど歩かねばならない。懐中電灯で足もとを照らしながら行くと、吉野川の水音が聞こえてきた。対岸の暗闇に、たき火の明かりがぼんやりと見えてほっとする。
橋をわたって竹やぶを抜けると念仏寺という小さなお寺があり、陀々堂の前にはたくさんの着膨れた人たち。みんなして鬼の登場をひたすらに待っている。私も群衆にまぎれて立ったまま待つ。雪がちらちら降ってきたけど、たき火があるからか思ったほど寒くない。火の粉が飛んで、コートに穴があいたと嘆いている人もいたが、私は火祭り用の穴あきダウンを着てきたから安心である。

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9時になり、鐘がならされる。僧侶たちがお堂の中で読経を始めた。現れた鬼は三人で、私の予想を超える大きな面と大きな松明だ。お堂の中で松明を掲げてポーズととるだけなのだが、生で見るとまさに鬼気迫ってくるものがある。屋根が、屋根が今にも燃え上がりそう。「なんで火事になれへんの?」と不思議に思うほど火の勢いが強い。

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いや、実際、今年は危なかったんじゃないかと思う。最後に一人の鬼が松明を落としたのだ。数人の水天役(かわせ)が飛び出してきて、幸いにも松明はすぐに拾われたが、危機一髪。なかなかスリリングで、常にテンションの低い私もやや興奮状態。

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ところで、聞くところによると平成10年の鬼走りの際に逆風が吹き、鬼がやけどを負うという事件があったそうだ。福を呼ぶ鬼なのに、これは何か悪いことがおこる予兆ではないかと心配する人もいた。その年、この地方に大きな台風が直撃し、多くの樹木がなぎ倒され、室生寺の五重塔も被害を受けた、という話もある。
今年の鬼たちは、大丈夫だったろうか。
帰り道に車を運転していると、珍しくロックが聴きたくなった。うまく説明できないけれど、火祭りはロックだと思う。


「鬼走り」の詳細はこちら。
http://www.city.gojo.lg.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1143010218687&SiteID=1139107257399


posted by きたうらまさこ at 23:15| 旅のおはなし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月07日

神楽、舞い立つ。

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長田神社の神楽に行ってきた。
少し前の記事で、鵜鳥神楽は岩手県宮古市に伝わると書いたのだけれどマチガイ。
鵜鳥神楽は岩手県普代村の民俗芸能で、北廻り、南廻りと称して1年おきに三陸の沿岸の村々を廻って歩いているそうだ。
会場でいただいたパンフレットには”人々は、神楽が鵜鳥神社を舞い立ったといううわさを聞くと、「神楽が舞い立ったから来んべぇ」と言って、春を待つように神楽の訪れを待ち望んでいます”と書かれていた。

東日本大震災で東北での巡行ができなくなったことは、毎年楽しみに待っていた地域の人々にとっても残念なことだ。
まちが復興した時に、神楽がなくなっている、なんてことにならないように・・。
それまでの間、神楽宿にかわる場所が関西や、日本の各地にあれば、神楽を伝えていける。
地元を出て巡業すれば、多くの日本人が神楽を知ることができる。

神楽の感動を共有するような体験は、今の日本人にとってめでたき事だと思う。
そもそも我々は何を大切にして、何に感動して、何を喜び、暮らしてきたか。
こんな時代だからこそ、そういうことを魂レベルで思い出すような体験が必要ではないだろうか。
神楽は日本人の遺伝子スイッチを再びONにするような気がする。
災い転じて福と、なしたい。

と、まぁ、こんなに熱くなるほど今回の鵜鳥神楽で私は感動したんである。
特に太鼓の複雑なバチさばきに魅了された。
飛び上がらんばかりに叩くお爺さん、かっこいい!クール・ジャパンだ。
舞も素晴らしかったし、見せ物としてたいへん面白かったし、神楽熱が再燃したかもしれん。うぅ。

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2011年11月25日

鵜鳥神楽

ここ数日、仕事でちょっと凹むことがあった。

……。

へこむ、と入力して凹む と出た時、いつも少し「ぎょっ」とする。
 
凹凸。

…ふむ。まぁいいけど。

ともかく昨日、凹んだままずるずると大阪に向かい、友人と合流して扇町のボダイジュカフェに行った。
目的は岩手県宮古市に古くから伝わる鵜鳥(うのとり)神楽。
岩手では東北大震災で沿岸部の村がほぼ全滅したため、神楽巡業ができなくなっているそうだ。
日本の宝とも言うべき貴重な芸能が、このままだと廃れてしまう。
これはなんとかせんとあかんやろ、ということで復興に向けて様々な支援の輪が関西で広がっている。

ボダイジュカフェでは、大阪市立大学の中川先生の解説で神楽の映像が紹介された。
現地の状況を教えてもらいながら観たのだけれど、身につまされる。
コミュニティにおいて人々が苦難から共に立ち直っていくために、民俗芸能の果たす役割は大きいと私もほんとに思う。

久しぶりに聞いた神楽の音がやっぱり良かった。
魂ゆさぶられるというかなんというか。
スクリーンでは神楽が舞われ、背景には高層ビルの夜景。
その対比も、幻想のように面白く。

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鵜鳥神楽の実演予定はこちらです。

12月1日 大阪国際交流センター
http://www.ih-osaka.or.jp/news/20111012_2168/

12月2日 長田神社
http://www.kobe-designhub.net/topics/2011/11/in.html


posted by きたうらまさこ at 23:35| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月24日

2011子ども歌舞伎と芸能発表会

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またしても、行ってきました二川歌舞伎。
有田川町二川(ふたがわ)地区住民による、年に一度の芸能発表会だ。
座布団つんで山道を飛ばして、この数年で3回は行っている。
自分でも酔狂な趣味だなぁと思うのだが、これはちょっとやめられない感じかも。

会場は小さな集落の中にある小学校の体育館なんだが、今年も例によって満員御礼。
校長先生の挨拶の後、最初の出し物はもちろん子ども歌舞伎である。
全校児童19名が、三味線、鼓などの楽器を奏でたり、姫やら鶴やらを演じたり、黒子に扮しておひねりを回収したりするわけ。

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みんな堂々としたもので、かなり練習したことがわかる。
今年もおひねり飛ぶ飛ぶ。
客席のあちこちから「じょうずっ!」と声がかかる。「あれ、かえらしの〜」とため息がもれる。
指導をした大人たちは、演技の見事さに感極まって舞台の袖で涙したとか。

さて、ここからもお楽しみ。
足をくずして私は待つ。
出てきた、出てきた。
民謡クラブのおばちゃんが「隅田恋しゃ」と踊れば、翁が登場して詩吟をうなる。
「おじい様(90歳ぐらい)、今年もお元気でよかったわぁ」とほっとする。
でも、前回は立っておられたのだが、今年は「腰が悪いんで座らせてもらいます」とのこと。
ちょっと心配したけど、声は溌剌としていたので、再びほっとする。拍手拍手!!

出た!コスモス。

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30代〜40代ぐらいの主婦たちのグループは、その名をコスモスという。
派手でキュートなダンスはいつも大人気。会場の盛り上がりも相当なものだ。
今年の曲はSMAPの「オリジナルスマイル」。
おひねり飛ぶ飛ぶ。ここまでやったら、そりゃ飛びます。

その後も、父兄の皆さんによるダンス「マルマルモリモリ」、
お父さんが出てきて松山千春の歌をひしっと熱唱、などなど。
「今年は東日本大震災もあって大変な年でした。みんなで、”ふるさと”を歌いましょう」と校長先生が滝廉太郎役で指揮棒をふり、舞台と客席みんなで大合唱する場面もあって、何やら胸が熱くなる。

最後はお決まりの(っていうか全部お決まりなんだが)お芝居で、今年の演目は「瞼の母」(演目は毎年かわる)
娘が母に向かって「おっかさん、お金や家柄が何よ、そんなものより大切なのは血の通った親子の情けじゃぁないの」と可愛らしい声で訴え、母親役の白塗りのおじさんがよよっと泣き崩れる。拍手喝采おひねりおひねり!!

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あぁ、何この熱気。
よそ者ながら私は本当に感動する、っていうか、単純に面白いんである。おかしくておかしくてたまらん。
伝統芸能を見せるだけではなく、時代に合った娯楽性もきちんと追求しているから面白い。
皆さんのその心意気に惚れるし、その心意気がないと伝統そのものも廃れてしまうと思う。
歌舞伎の形式だけを保存するのではなく、地域全体で楽しむことを大切にしている人たちが多くいて、その結果、伝統の歌舞伎と、それを育んだ精神文化が守られている、という好例ではなかろうか。

帰路、車で生石山を越えながら毎回あれこれ思うんだが、今回もいろいろと考えてしまった。
二川地区の皆さんは、これで「町おこし」なんてちっとも考えていないもよう。
無心にやってる表現活動ほど、人を感動させるものはないのだ。たぶん。
いずれにしても、二川に学ぶべきところは多いのである。

前回の記事は以下です。
http://pasaran.seesaa.net/article/108705462.html


posted by きたうらまさこ at 16:42| 紀伊半島 書き歩き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月10日

最後の例祭

さっき、摘果みかんをジュースにして飲むとおいしい、というたいへん有意義な記事を書いたのだが、突然パソコンがフリーズしたために消えた。無念。

一気に脱力してネットでニュースなど読んでいたら、こんな記事を発見した。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111009/dst11100920100017-n1.htm

台風の被害で、廃村…。
来月、集落の神社で最後の例祭を営むのだとか。
氏神様は、土地での暮らしを守ってはくれなかったけれど、人は神様を恨まない。

ここまで書いてぼんやりしていたら、ふと、思い出したことがある。

少し前、友人に聞いた話なんだが。
山間部で町おこしの活動をされている方が「土地の神さんが喜ぶか?」ということを活動の判断基準にされているとか。

自分に置き換えて考えてみると、いろいろと腑に落ちることがあるし、もろもろ方向も見えてくるし、不安も薄れる。

人間は土地のカミを裏切ってはいけない、という事を震災以降とくに強く思うので。


写真は「にこにこのうえん」さんがおまけに付けてくれた摘果みかん。
農業や漁業の近くで暮らすことも、大事なことだと思う。
自分が暮らす土地の食べ物を、ありがたく食べ続けること。

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posted by きたうらまさこ at 15:20| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月11日

紀州女

ちょっと必要があって、神坂次郎先生のエッセイ『紀州史散策 第一集』(昭和51年 有馬書店)を読み返してみたんだが、やっぱりうまい。
こんなによく出来たエッセイを読めるのは、なんて幸せなことかと思う。

神坂先生には昨年、写真集の監修をお願いしたのだが、おかげで何度もご自宅に伺う機会に恵まれた。
すごい方なのに腰が低くて、「私は小心者なんで」と言いながら、ぼそぼそと話をされる姿が素敵だった。今から思えば、貴重なお話を色々と聞かせてもらったと思う。

先生の顔を思い出しながら、ページをめくる。

中に、「紀州女の唄」という短い文章があるのだが、それがいい。

「灼けつくような烈しい太陽を間近くに浴びるせいか、紀州女は陽気で、開放的で、愛憎がはげしい。だから、江戸時代から明治にかけて紀州の海辺で唄われていた俚謡のなかには、これが娘の唇から出た唄なのかと驚くほど、なんとも、はや、すさまじい唄がある。」

なんとも、はや、すさまじい唄の一例をあげるとこんなのである。


 親と親との約束なれば 親父行て添え わしゃ知らぬ♪

 勘当(かんど)うけてもお前と添わにゃ 親に末代 添うじゃなし♪


「父親の面目は丸つぶれだが、娘たちはそんなことにおかまいなく、小麦色の頬を潮風になぶらせて、おおらかに恋の情熱をうたいあげる」と神坂先生。

私にとっても、彼女たちの表情を想像することは、たやすい。目に浮かぶようだ。

海辺に住む人たちは、そもそも海人族の末裔だから、「舟さえあればどこででも生きていける」というマインドが血脈の中にあるのだろう。
田畑を家産として継承していく農村地域よりは、父権も弱かったはずだ。

こんな唄も紹介されていた。

 思いおうたら連れもていこら 他国ずまいを してなりと♪

まことに見事な女の心意気。惚れるわ。



posted by きたうらまさこ at 15:56| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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