やっぱり!
って言うか、過去記事を探したら5年前にも書いていた。私の興味関心は、そう変わっていないようで…。
http://pasaran.seesaa.net/article/48031989.html?1349577489
『山の宗教 修験道』によると、前鬼村の宿坊のひとつ、森本坊が山をおりたのは「狼の出没のみならず、山中生活の不便さから」とのこと。狼は一応、明治37年に東吉野村で捕獲されてから発見されていないため、絶滅したことになっている。しかし、森本坊の下山は昭和43年だ。
五来さんは次のように書いている。
「最近、この山での狼の出没がうたがいないものになってきたのは、前鬼の森本坊の離山である。勘ぐる人はこの由緒ある坊も山中の孤立生活に堪えきれなくなったので、離山の口実に狼を出したとおもうかもしれぬが、私もつぎの日の前鬼泊まりで夜中に犬とは異質の遠吠えを確かにきいた。」
ちなみに、五来さんがこの遠吠えを聞いたのは昭和44年のことである。
高速道路がつぎつぎに建設され、産業公害で大気や水が汚染され、農村から都市部への民族大移動が起きているその時、紀伊山中ではひっそりと狼が群れていた、ということか。
熊野、中辺路在住の作家、宇江敏勝氏も著書『山の木のひとりごと』の中で狼について触れていた。
宇江さんのお父さんが、昭和10年頃に笠捨山(奈良県十津川村)で狼と遭遇した話、昭和25年に果無(はてなし)山脈の南麓の炭焼き小屋にいた人が、狼の吠える声を聞いた話、果無から龍神村へ行く途中で吠えられた話など、昭和20年代は、狼の出没に関する話題が多かったそうだ。
宇江さんは「もし日本狼が絶滅したものとしてその時期を問われるならば、私は昭和30年代とする」としながらも「だが百パーセント生存の可能性なしという見方を私はとらない。自分が山中で生きているかぎり、あるいは、という一縷の望みは抱き続けたいのである」と想いを記す。
ところで、小谷さんに聞いたオオカミの話とよく似たものが、隣の十津川村にもあった。
(44)「猟犬になった狼」
http://www.totsukawa-nara.ed.jp/bridge/guide/folktale/folktale.htm
狼の出てくる民話には、送り狼、千匹狼など、いくつかのパターンがあるもよう。そして紀伊山地はやはり、狼の民話が多い地域であったようだ。
狼を神とする信仰も日本中に見られるが、龍神村にも「大口の真神」として狼をあがめる信仰があった。農民にとって、畑を荒らす鹿や猪を狩る狼は「山の神のお使い」だったのだ。
続いて『龍神村誌』を読んでいたら、大熊の地名の由来を見つけた。
「その昔、全身針毛に覆われた赤毛の巨大なクマが突如現れ、里人たちが戦々恐々としていたとき、一人の山伏が来て念力を用いてこれを小高い丘に伏し込めたのが大熊の地名の起因であるといわれている」
また、「クマには霊力があって殺すと人にたたるともいわれていた。そこで、昔の猟師は、クマを射止めたら急ぎ自分のふんどしを解いてそれでクマの目を隠したそうである(奈目良宗一氏談)」
民話や伝承は人間の想像力のたまもの。自然や動物をおそれなくなったぶん、人間は想像力を失ってきたのだな、と思う。日本人はたぶん、狼も失ったけれど。