2012年10月07日

狼のこと

五来重氏の『山の宗教 修験道』を再読してみた。たしか、日本狼についての記述があったような気がするんだけど、と思ってパラパラめくって発見。

やっぱり!
って言うか、過去記事を探したら5年前にも書いていた。私の興味関心は、そう変わっていないようで…。
http://pasaran.seesaa.net/article/48031989.html?1349577489

『山の宗教 修験道』によると、前鬼村の宿坊のひとつ、森本坊が山をおりたのは「狼の出没のみならず、山中生活の不便さから」とのこと。狼は一応、明治37年に東吉野村で捕獲されてから発見されていないため、絶滅したことになっている。しかし、森本坊の下山は昭和43年だ。

五来さんは次のように書いている。
「最近、この山での狼の出没がうたがいないものになってきたのは、前鬼の森本坊の離山である。勘ぐる人はこの由緒ある坊も山中の孤立生活に堪えきれなくなったので、離山の口実に狼を出したとおもうかもしれぬが、私もつぎの日の前鬼泊まりで夜中に犬とは異質の遠吠えを確かにきいた。」

ちなみに、五来さんがこの遠吠えを聞いたのは昭和44年のことである。
高速道路がつぎつぎに建設され、産業公害で大気や水が汚染され、農村から都市部への民族大移動が起きているその時、紀伊山中ではひっそりと狼が群れていた、ということか。

熊野、中辺路在住の作家、宇江敏勝氏も著書『山の木のひとりごと』の中で狼について触れていた。
宇江さんのお父さんが、昭和10年頃に笠捨山(奈良県十津川村)で狼と遭遇した話、昭和25年に果無(はてなし)山脈の南麓の炭焼き小屋にいた人が、狼の吠える声を聞いた話、果無から龍神村へ行く途中で吠えられた話など、昭和20年代は、狼の出没に関する話題が多かったそうだ。

宇江さんは「もし日本狼が絶滅したものとしてその時期を問われるならば、私は昭和30年代とする」としながらも「だが百パーセント生存の可能性なしという見方を私はとらない。自分が山中で生きているかぎり、あるいは、という一縷の望みは抱き続けたいのである」と想いを記す。

ところで、小谷さんに聞いたオオカミの話とよく似たものが、隣の十津川村にもあった。
(44)「猟犬になった狼」
http://www.totsukawa-nara.ed.jp/bridge/guide/folktale/folktale.htm

狼の出てくる民話には、送り狼、千匹狼など、いくつかのパターンがあるもよう。そして紀伊山地はやはり、狼の民話が多い地域であったようだ。
狼を神とする信仰も日本中に見られるが、龍神村にも「大口の真神」として狼をあがめる信仰があった。農民にとって、畑を荒らす鹿や猪を狩る狼は「山の神のお使い」だったのだ。

続いて『龍神村誌』を読んでいたら、大熊の地名の由来を見つけた。

「その昔、全身針毛に覆われた赤毛の巨大なクマが突如現れ、里人たちが戦々恐々としていたとき、一人の山伏が来て念力を用いてこれを小高い丘に伏し込めたのが大熊の地名の起因であるといわれている」
また、「クマには霊力があって殺すと人にたたるともいわれていた。そこで、昔の猟師は、クマを射止めたら急ぎ自分のふんどしを解いてそれでクマの目を隠したそうである(奈目良宗一氏談)」

民話や伝承は人間の想像力のたまもの。自然や動物をおそれなくなったぶん、人間は想像力を失ってきたのだな、と思う。日本人はたぶん、狼も失ったけれど。

posted by きたうらまさこ at 12:25| 紀州の民話・伝説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月01日

龍神村のオオカミ(記録)

龍神村で、オオカミの話を聞いてきた。
場所は龍神村の最奥部、大熊の近くで、話して下さったのは地元の小谷さん。
紹介してくださったのはmizooさん。
以下の文章は録音してきた音声を起こして、少しまとめたもの。

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明治の始まり、まぁ今から百五十年ぐらい前のことやと思うけど。
大熊の殿垣内という集落に、長尾熊吉さんていう腕のええ猟師がおったんや。ある時、長尾さんが猟に出かけて、「犬戻り猿戻り」と言われる険しい崖の近くで、オオカミの子らがじゃれてるのを見たらしい。ほいて「大事にするさけ、一匹くれへんか」と上から覗き込んで言うたら、オオカミの母親が一匹そこへ置いといてくれたんや。

そのオオカミを育てて猟に使たら、そらよう働く。オオカミひとりで山へ行って、獲物を追い込んで帰ってくるんで、長尾さんは八幡さんの河原で待っとったらよかった。猟に出やんでも、そこで待っとって、火縄銃でポンって撃ったらよかったんや。こりゃ、ええオオカミを手に入れたってなもんや。

ある時、一杯呑んだ勢いか、冗談か知らんけど「お前、これから千匹の獲物もってこい。千匹もってきたら、わしの命やる」と長尾さんが言うた。そいたらそぉ、毎日毎日やられるもんやから、三年もせんうちに千匹になるわな。最初は思ってなかったんやけど、七百八百に近づいてきたら、こりゃあかん。だんだん心配になってくるわな。
いよいよ九百を超えたとき、和尚に相談に行った。「やがて千匹になるんやけども、実際わしは命とられるんやろか」

「お前、えらいこと言うたなぁ。オオカミというのは絶対に約束を守るて、みな昔から言うんや。千匹目をとった時には、必ずお前は殺されるぞ」と和尚に言われて、「どうしたらええんやろ、えらいこと言うてしもたもんや」とますます恐ろしなった。
「まぁ、わしがしばらく考えてみるさかいに」と和尚が言うので、その日は帰ったんやけども。

2日か3日たって、和尚に呼ばれた。「お前とおんなじ恰好のわら人形をこしらえよ。そして普段、お前が着てる着物を着せてな、千匹目を追いにオオカミが山へ入ったら、八幡さんの河原へ人形を立てて、お前は後ろの杉の木にあがって、鉄砲かまえて待っとけ。千匹目をオオカミが殺した時には、必ず人形に飛びかかってくるから、一発でしとめやなお前、やられるぞ」

長尾さんは言われた通りにして、大杉の上へあがって鉄砲かまえて待っておった。やがてオオカミはイノシシを追ってきて、そいつをかみ殺したと思ったら、いきなり人形へ飛びかかってきたわけや。その時にズドンと。そら、腕のええ猟師やから、オオカミを一発で撃ち殺したんや。

そやけど、自分の言うたことでなぁ…。オオカミは約束を守っとるわけや。きちんと。そやさけ、命とって可哀想なことしたと思て供養したんやな。長尾さんの家の、畑の隅っこにオオカミ神社っていう神社があったんや。オオカミの死体を埋めたとこへ、ちっちゃい祠たてて。
ずーーっとあったんやけど、今から、そうやなぁ…いつ頃やったか、近くに住んでる山下さんていう人が新たに作り直してね。ほいで、ちょっと場所を変えて、今もその神社ありますわ。昔のやつは木で作ったもんやから、ぼろぼろになってしもて、今はきれいなやつ祀っちゃぁる。オオカミ神社、オオカミ神社ってみな言わ。

長尾さんの家は絶えてしもたけど、家が絶えてしまったということは、あんまりええ事やなかった。命はとられやんかったけどな。
オオカミには言い分がある。「お前なにすんねん。わしは言うたとおり約束を守っただけや」と。
そやさけ、体投げ出して、命やったらよかったんや。

ほいたら長尾神社になってた。← mizooさん

長尾屋敷の跡もまだある。オオカミ神社は神社っていうほどのもんでもない。祠やで。

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【メモ】
●かつての猟師たちは、千匹の獲物を獲ったら、お坊さんに頼んで「千匹供養」をした。そのため、猟師たちは頭数を帳面に付けていた。
小谷さんの家にも、4代前のおじいさんのものがあったらしい。その人は猟師で、106歳まで生きていた。表紙に“シシ帳”と書き、何月何日にどこどこで鹿一匹、大雌鹿一匹と書いてあった。半紙でとじて、青い表紙を貼ってあった。
「熊も4頭獲っとった。よう火縄銃で熊ねらいにいったもんやな」と小谷さん。
●昭和になってからもまだ「オオカミおる」と言った人がいた。小谷さんも年寄りにそう聞いた。「足跡見た」と言う人もいた。
●当時の猟師さんは、獲物の毛皮だけをはいで、肉は食べなかった。イノシシの皮は、田んぼで使う長靴を作るのに使った。そのためイノシシの大きさを、靴何足分と表現した。「昨日は三足一匹とった」など。皮を求めて田辺や御坊から、商人が買い付けに来た。
●「犬戻り猿戻り」の崖の上には、今は高野龍神スカイラインが通っている。
●八幡さんの河原にあった大杉は、水害で流されたので今はない。

posted by きたうらまさこ at 16:41| 紀州の民話・伝説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月03日

この世の深み(4)

米原を経由して大垣駅に着いた。
さぁここで乗り換えて美濃赤坂駅へ、と思ったら、次の電車まではあと1時間以上あるという。
悩んだのだが、仕方なくタクシーに乗った。2000円ちょっとだったけど、残念な出費。

美濃赤坂駅は幹線道路から離れ、ひっそりした古いまちにあった。駅にレンタサイクルがあるという情報を得ていたのに「今年はまだやってないんです。すみませんねぇ」と駅員さんに頭を下げられてしまった。
駅界隈も、赤坂の宿(しゅく)という宿場町なのだが、青墓の宿はその隣。距離はけっこうあるし、バスもないし、そうゆっくり散策できるほどの時間もない。無理だったらもう赤坂の宿だけでいいか…と半ば諦めて歩き出す。

中山道で地図を眺めて立ち止まっていたら「どこかお探しですか?」と声が聞こえた。顔を上げると白いパジェロミニの横で、愛想のよさげな男性が立っている。年の頃は40歳ぐらいか。首から名札をぶらさげて観光客に気さくに声をかけるので、てっきり観光協会の職員さんかと思った。
「青墓にある照手の水汲み井戸に行きたいのですが」と言うと、私の持っていた地図を覗き込んで首をかしげた。どうやら観光協会の方ではなさそうだ。しかしその方、「歩くと遠いですね。よかったら乗っていってください」と親切にすすめてくれた。危険かな…と一瞬思ったのだが、渡りに船だし、他に方法もないし、私より弱そうだったので乗せてもらうことにした。ありがたい。熊野権現のおはからひか。

そこから少し走ると「中山道・青墓宿」とかかれた道標が、田圃のあぜ道にぽつんと立てられていた。あたりは田圃だらけ。遊女も傀儡も夢のあと。
なんにもないにもほどがある。
が、それが逆にたまらなくよかった。他人様にすすめることはできないが、私は好きだ。
そうそう、
照手姫がいじめ抜かれて水を汲んだという井戸は、青墓小学校の横にあった。なんてことない井戸だったけどね。

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「他に行きたいところはありませんか」と言ってくださったので、それでは円興寺に、とお願いした。梁塵秘抄とつながりの深いお寺であるらしい。境内の階段の脇には「遊びをせんとや生まれけん」と刻まれた石碑が建てられていた。今様を現代によみがえらせた歌い手、桃山晴衣さんの筆によるものだ。「節の付いた歌は、和歌よりももっと霊力がある」と桃山さんは生前に語っているが、霊力を感じながら歌っていた彼女もやはり、巫女だったのだろう。

お世話になったKさんに駅まで送っていただき、ありがとうございましたとお礼を言った。
そして電車が来るまで小一時間、誰もいない木造駅舎でゆっくり本を読んで過ごした。そろそろ日も傾きだして、初夏のような風が駅舎をふわりと吹き抜けていく。

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ここに来て 梁塵秘抄を読むときは 金色光のさす心地する

本の最後には、北原白秋が詠んだ和歌が紹介されていた。
「ここに来て」ってどこよ?と思ったのだが、仏教的な雰囲気がするのでお寺、かな。
少なくとも美濃赤坂駅ではないだろうが、鄙びた駅のベンチで読む梁塵秘抄も味わい深い。私は凡人だし「金色光のさす心地」まではさすがに無理だな。そんなふうに思いながらふと見回せば、あたりは山吹色の夕まぐれ。


                  おわり
posted by きたうらまさこ at 15:16| 旅のおはなし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月30日

この世の深み(3)

京都から米原に向かう電車の中で『梁塵秘抄』を開いた。平安時代末期に後白河法皇によって編まれた今様(遊女たちが口ずさんでいた流行歌)の歌集で、じっくり読んでいると中世を生きたアウトサイダーたちの心の機微まで感じられて面白い。
後白河法皇に今様を教えたのは、中山道の宿場町・青墓の遊女、乙前(おとまえ)。後白河法皇は、すでに70歳を過ぎていた乙前を師と仰ぎ、十数年に渡って指導を受けた。ここまで熱中したら、ただのもの好きとも言えまい。

青墓は傀儡女、白拍子、遊女(歩き巫女)など、宗教性を帯びた流浪の女性芸能者たちが拠点とした宿場町。『小栗判官』の主な舞台の一つでもある。
小栗の妻、照手は青墓の地に遊女として売られてくるのだが、身を売ることを拒否して下働きの女中になる。美女のくせに客を取らないもんだから「籠で水を汲め」とか言われていじめられ、それでもめげずに働きまくる。その後、餓鬼阿弥の姿となった小栗と再会して、結局はハッピーエンドになるのだが…。(もし興味があったら検索してください)
そんなこんなで目指すは青墓、何もなくても。(調べたところ、宿場町っぽいものは何もないらしい)

電車は各駅停車でゆっくり進んでいく。
私はひたすら文字を追い、遊女たちのいる深みにぐるぐるとおりてゆく。

百日百夜(ももかももよ)は独り寝と 人の夜夫(よづま)は何せうに 欲しからず 宵より夜半まではよけれども 暁鶏(とり)鳴けば床寂し

妻のある男を待っている女が、「よその夫なんて欲しかないが明け方に鶏が鳴くころは寂しいのよ」とうたっている。これ、どんなふうにうたったんだろう。まるでケイウンスクの演歌みたい。

だがしかし、恋のうたはもう私には実感として迫ってこない。長年その手の感情から遠ざかっているので、言うてしまえば……もうわからん。90歳で再婚うんぬんと冗談でも言える女性がうらやましい。
それよりも、子を思う親の心に思わず感涙し、中年女の痛さ可笑しさにぷるぷると共感してしまう。

我が子は十余に成りぬらん 巫(かうなぎ)してこそ歩くなれ 田子の浦に潮踏むと 如何に海人集ふらん 正しとて 問ひみ問はずみなぶるらん いとをしや

「生き別れになったあの子も今12,3歳。歩き巫女になってあちこち旅しているらしいのです。田子の浦の海辺あたりを歩いているのでしょう。漁師たちが集まって、あの子の占いが当たるの当たらないの、どこから来たかなどいろいろ聞いて、年端もいかない子をなぶりものにするのでしょう。あぁ愛おしい」

この母親も歩き巫女なのだろう。自分と同じ道を歩みだした幼い娘を想い「いとをしや」とうたう心中いかばかりか、その悲しみを思うと泣けてくる。
そしてまた、容姿のおとろえを嘆く女の気持ちもまことに私はよくわかる。

鏡曇りては 我が身こそやつれける 我が身やつれては 男退(の)け引く

「この頃もうあんまり鏡見たくないし、見たくないから磨かないし、そしたら鏡も曇るしっていう悪循環で老けてったら、そりゃ男もびびって逃げるわよね」

月も月 立つ月ごとに若きかな つくづく老いをする我が身 何なるらむ

「月は新月になるたびに若くなるのに、それにくらべてアタシは老けるばっかり。なんなのよ、これ」

間違ってるかもしれないが、だいたいこんな感じでしょう。何なるらむ、とふて腐れて言い切るそのキモチ、私もわかります。遊女たちの表現力が磨かれたのは、それだけ生々しく生きていたからかな。
今様にひたってボケていたら、電車は米原についていた。乗り換えねば。はっと気がついて荷物をまとめて飛びおりる。向かいのホームへの階段を慌ててのぼったら、ハンカチやらペットボトルやら本やら派手にばらまいてしまった。如何にせん。




posted by きたうらまさこ at 10:32| 旅のおはなし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月27日

この世の深み(2)

六道の辻から鴨川を渡って五条に着いた。
高瀬川に沿って歩くと、桃色のハナミズキが満開で華やかだ。
遊郭があった地域は「五条楽園」と言われ、つい最近まで数カ所に大きな看板があげられていたそうだが今はない。一昨年に売春防止法で摘発されてから、お茶屋や置屋は営業されていないようだが、遊郭の名残を残す建物はいくつか残っている。

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春の陽射しを浴びたまちは明るくて、写真を撮るのをためらうような雰囲気は少しもなかった。ここは空き家のようだったしね。
散策をしていると、花街の一角に空き地があった。駐車場になっていたが、かつては建物があったのだろう。その真ん中に、一羽のアオサギが首を伸ばしてすくっと立っていた。

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この場合、遊女の生まれ変わりってことで、いいですよね? 
アオサギの姿になってかつての職場に舞い戻ってきたのだと思う。何だか物思いにふけっていたみたいだったし…。時空を超えた彼女の回想に、私も密かに思いを馳せる。

そこから京都駅までは歩いて15分ぐらい。
駅で友人と別れ、次の目的地である岐阜行きの電車を待っていた。歩き疲れたのでホームのベンチに腰かけると、老婆が一人、押し車をついてやってきた。
「ちょっとごめんなさいね、ワタシもう90歳だから荷物と一緒なの。ここへ座らせてもらいますよ」
そう言って私の隣に腰掛けた。いや、正確に言うと私の隣にはすでに見知らぬ女性が座っており、老婆が腰掛けたのは、椅子と椅子の間にある荷物を置く台の部分だった。

私も隣の女性もはじかれたように立ち上がり「そ、そんな…、どうぞこちらに座ってください」と席を譲ろうとしたのだが老婆は動かない。そして「ええんです。大正生まれの90歳なんて荷物と一緒」とがんとして繰り返す。
お年寄りを荷物と一緒とは思わんが、そうまで言うなら好きにしてもらえばいい。他にベンチもあいているのにここを選んでいるのだから、そういう趣味なんだろう。私も隣の女性もきょとんとしながら元の位置に着席。微妙に近い距離で少々気まずく3人並ぶ。
ちらっと横目で見ると、カラフルなブラウスにピンクの口紅、しゃんと伸びた背筋が若々しくてなかなかチャーミングなおばあちゃんだ。

「90歳にはとても見えないですね、お若いですね」と私が言うと「あらそぉお? ワタシ再婚できる?」と上機嫌でおっしゃる。へっ?と心で発し、あいまいに笑ってごまかしていると、目の前に電車がやってきた。女性専用車両だ。
老婆はその車両を指さしてこう言った。
「あんなの嫌よねぇ、女性専用なんてね。ワタシ、男はんが乗ってはる電車にしか乗りたくないわ」
その時、私の頭の中にさっき見た五条楽園の遊郭と、りんと立つアオサギの姿が一瞬浮かんで消えた。「なんで?」と思った瞬間、岐阜へ向かう電車がきたので、お先に失礼しますと言って立ち去ったのだが…。


posted by きたうらまさこ at 22:02| 旅のおはなし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月26日

この世の深み(1)

京都に泊まった。
夕刻、錦市場近くのゲストハウスにチェックインして、宿の裏手にある銭湯、明治湯へ。
思わぬ自動ドアに不意をつかれる。そのわりに内装は昔ながらで、番台にはおじいさんが何気に座っている。

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脱衣場では近所のお年寄りが、世間話に花を咲かせていた。どこそこの誰やらさんが階段から落ちて入院したとかいう、あれである。
BGMはFM802。春の夕方にぴったりなおしゃれな音楽が流れていたが、おじいさんの趣味なのか。ロッカーの上には、持ち主の屋号の入った柳行李が並ぶ。さすがに京都な感じだなぁと思い、誰もいない隙にこそっと撮影してみた。

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お風呂上がりに市場をぶらぶら歩いて、タケノコの値段などチェック。丹波産で100グラム200円なり。
友人たちとの待ち合わせ場所は、京都駅近くだったので歩いて行く。たどり着いた店はとってもディープな「リド飲食街」の中にあった。にしても、リドって何なのよ?

私好みの店を選んでくれたらしいが、確かに私はとてもツボ。ムーミンのTシャツを着た寡黙な大将が一人で切り盛りしている。カウンター席しかなくて、あまり流行って常連さんが入れなくなると困るので名前は書かない。ずいぶん変な店名だったな。
久しぶりの飲み会は面白かった。毎度のことながら奇譚の通じる奇妙な人たちだ。「こんな変な話、このメンバーでしかできへんよね」とあらためて確認しあう夜となる。

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翌日は友人と再び合流し、六波羅蜜寺に行ってみた。空也上人の立像はさすがに傑作である。私は実物を初めて見たのだが、あれほどのものとは思わなかった。「しまった、もっと早く見ておけばよかった」と悔やむ。写真でよく目にするものは、すでに見たような気になってしまっていけない。日本にはまだまだ見るべきものがあるはずだし、見ないで死ぬわけにはいかんという欲求が熱くこみ上げる。空也上人の口から飛び出た、六体の阿弥陀さま。何ともありがたい仏像を見上げつつ、欲にまみれてぐるぐる。

ところで六波羅蜜寺の角は六道の辻と言われ、かつてはあの世とこの世の境界であったとか。子育て幽霊の話で知られる飴屋さんがあったりもする。ストーリーをよく知らなかったので、さっき検索して読んでみたが、これ、けっこう怖いのね。
でも今回の旅のテーマは幽霊ではなくて遊女なのだ。京都の遊郭で今も残るのは、五条あたりと聞く。六道の辻からあの世に背を向け、この世方面へと徒歩で向かう。かばんに読みかけの『梁塵秘抄』(入門書だけど)を入れて、この世の深みへと参らむ。



posted by きたうらまさこ at 13:41| 旅のおはなし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月31日

日生かきおこ

日生。
ひなせ、と読むらし。
兵庫県の赤穂から電車で16分。岡山県に入ってすぐの港町である。
ホームに立つと海はすぐ近くで、瀬戸内の島々へ渡る定期船が見えた。いい感じだ。

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駅の横には観光案内所があり、地図を指差しながら職員さんが丁寧に説明してくれた。
目指すは「かきおこ」。牡蠣のお好み焼きである。
手渡された「かきおこマップ」には、町内にたくさんあるかきおこ店が細かく記してあった。
15分ほど歩いて、よさげな店を見つけたので入ってみた。浜屋みっちゃん。
戸をあけてぎょっとする。異文化だ。

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「どうぞっ、入って」。正面に立って焼いてるおばちゃん(たぶんみっちゃん)にテコで呼ばれて店内へ。
首にタオル、両手に大テコを持って仁王立ち。なかなかの貫禄である。
狭い店の中央に鉄板がひとつ。まわりを囲む食事中の客。そのまたまわりを順番待ちの客がぐるっと囲んで座っている。
順番待ちの客は、お好み焼きの匂いにさらされ続けながら待つわけで、空腹だったらプチ試練。
鉄板はタイルづくりの台に乗っていて、なかなか年季の入った代物である。
何より驚いたのが、牡蠣の大きさと投入量。キャベツの上に特大サイズがごろごろ10個ほど。
しかも出来上がりのボリュームのすごいこと。これで1枚800円なんだが、食べきれなくて持って帰る人もちらほら。

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鉄板まわりには椅子が6つぐらいしかないために、結構待たされる。
外周にいた時にいろいろ観察したのだが、長時間だらだら食べているとみっちゃんの機嫌が悪くなるようだ。回転率は売り上げに直結するからね。
30分ほどしてようやく鉄板前に移動できた。ぴったりのタイミングでかきおこは焼き上がっている。プロの仕事だ。

食べてびっくりした。生臭感がまったくなくてぷりぷりでジューシー。
実は牡蠣ってそんなに得意じゃなかったのだが、新鮮だとこんなにおいしいものなのね。
感動のあまり「おいしい、おいしい」を連発していたら、「朝むいた牡蠣やからね」とみっちゃんもにこにこしてくれた。
せっかくの上機嫌を壊してはいけないので、気の小さい客はささっと完食。

満腹で町を散策しているとき、変なものを見つけた。
カキフライソフト。ソフトクリームにカキフライを突き刺してソースをかけているようだ。
「甘さひかえめ」って書いてたけど、問題はそこじゃないと思うね。どうでもいいけど。

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posted by きたうらまさこ at 11:06| 旅のおはなし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月26日

生きのびる知恵

少し前に、『六ヶ所村ラプソディー』をようやく観た。
舞台は本州最北端・下北半島に位置する六ヶ所村。日本で唯一、核燃料再処理施設があるところだ。
六ヶ所村が施設を誘致したのは1980年代半ばのことで、映画が公開されたのは2006年。ドキュメンタリーには、賛成、中立、反対派の地域住民が登場し、それぞれの立場で思いを語っていた。

私の頭にこびりついて離れないのは、何てことないワンシーン。野菜を売っている(あるいは買いにきた)おばちゃんが、こんなようなことを言ったのだ。
「人間はミスをするものよ。だから事故は起きるに決まってる」
知識人でも政治家でもない、ふつうの主婦の真理をついたひと言。
映画の公開から5年後に福島原発の事故が起きるわけだが、学者さんには想定外でも、このおばちゃんには想定内だったことだろう。

以来、時々思い出して、ぼんやり考えてしまう。
あの言葉を言わしめたのは知識ではなく知恵だと思うのよね。
人間、最後に役立つのは「知恵」じゃないかと。

そして昨日、石井正己氏の『昔話に学ぶ環境』という本を読んでいてぐっときた。
「人々は生きるための知恵を口承文芸によって伝えてきた」と書いてある。
何となく思っていたことが活字になっていたので、ちょっとすっきり。

「人間はミスをするものよ」

あの言葉も祖先からの知恵を、自分の中にするりと取り入れた結果なのだろう。
昔話などの形で伝えられた知恵は、多かったのではないかな。
例えば人間の愚かさ、自然の大きさ、侵してはならないタブー……などなど。
倫理観や道徳観を育てていく物語が、口承で伝えられてきたのだ。

『昔話に学ぶ環境』から、少し引用してみる。

「文明の発達に伴って、そうした知恵を遅れたものとして切り捨てるようにして近代社会は成立しました。それによって、便利で豊かな生活を手に入れたと言えましょう。ところが、二一世紀を迎えて、そうした営みに対する深い反省が始まりました。その際、口承文芸は失われようとする伝統文化だから大切に保存しなければならない、という保守的な立場には立ちません。もっと積極的に、口承文芸の中から自然や人間と向き合う知恵を引き出し、それを未来に生かしてゆくのでなければ意味がないと考えます」

日本人は、祖先からの〈教え〉をバカにして忘れてきたわけだが、それは、危険を回避して生き延びる知恵を失った、ということに他ならない。
311からの特殊ケースに立ち向かい、新たな暮らし方をデザインするには、知恵がいるのに。
              

写真は先日、神戸で開催された国際シンポジウムの会場からの景色。
同席の可愛らしい女性に阪神淡路大震災の話題をふってみたら「わたし2歳だったから知らないんです」とにっこり。そんな方々がもう社会に出てきてるという衝撃。

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posted by きたうらまさこ at 22:08| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月19日

ドラマティック福井

遅まきながら青春18切符デビューを果たした。
まずは女二人旅で福井へ日帰り。
それにしても、
改札でちらっと見せるだけで、どこまでだって乗り継げるというのは気持ちが良いものである。
水戸黄門の印籠みたい。

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敦賀に到着したのは午前10時頃。
漁港のそばで朝食をとることにした。
ドアをあけると、70代とおぼしき女の人が控えめな笑顔を見せた。
店の内装は、どう見ても元スナック。幅が広めのカウンターと赤っぽい壁紙。
その上にぶら下がるレトロな照明。
かつてはウイスキーが並んでいたであろう棚。

女主人をよくよく見れば、老いたとはいえ艶っぽい。
若い頃から中年期までスナックのママとしてモテモテで、あまたの漁師と浮き名を流し、港町のおかみさん連中の顔をしかめさせ……うんぬん。
という妄想に溺れながら待つ。

出てきたのがこれ。

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ハタハタの煮付け、あさりのみそ汁、蟹の酢の物、ほたてのバター焼き。しめて750円也。
味付けも値段も素晴らしい。


一時間ほど敦賀を歩きまわって、小浜に移動。
今回の旅の目的は食なので、早速お昼ご飯を食べることにする。
目指す食堂は、さびれた商店街の中にあった。
実は大阪から敦賀に向かう電車の中で、たまたま向かいに座った中年女性がすすめてくれたのだ。
「見た目はきれいじゃないけど、魚がおいしい店ですよ」
旅先でこういう情報が得られるのも電車ならでは。
いつもは車で旅をするので、なんだか新鮮な体験でうれしい。


くだんの食堂の前に立つ。
擦り切れてボロボロの暖簾に目がいった。ボ…ボロボロすぎる。
この暖簾を吊るし続ける意味について、妄想しようとしたが挫折。わからん。
店内に入ると一瞬「ここは裏口であったか!?」と焦るのだが「どうぞ奥へ」と促されて進む。
裏口ではなかったようだ。
厨房の横の狭い通路を抜けると、座敷があった。えらく私好みの…。

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頼んだのは、刺身定食。
昼間ではあるが日本酒を冷やでいただく。地酒「わかさ」である。
酒の肴にカンパチのあら煮をサービスで出してくれたので、それをつまみに一杯。
テーブルの上には一升瓶が置きっぱなし。
「どうぞ呑んでください」と言って角刈りの店主は厨房へ消えた。
…ええんですか?

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刺身定食には大きな焼き鯖も付いていて、これがまた美味なのだ。
感動しながら呑み喰いしていたら、店主が再び現れて言葉を交わすことしばし。
世間話の中にちらっと出た名は幸徳秋水。
「この人もただものじゃないね」と勘ぐりながら呑むのも味わい深い。



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posted by きたうらまさこ at 12:26| 旅のおはなし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月04日

読売旅行・富士山篇 3

河口湖に到着して湖上の橋を渡るとき、バスガイドさんが前方を指差してこう言った。
「皆様、左手の山のふもとに大きな三角形の屋根が見えますでしょうか。あのマンション風の建物の横でございます。あれは綾小路きみまろさんのお宅です」
きみまろさんって名前しか知らなかったのだが、なかなかの有名人らしく、皆さん興味津々で前方を見ている。
「きみまろさんは下積み時代が長くて、30年も売れなかったんですけれども、売れなくて苦労していた時代に、いつか河口湖畔に家を建てたいとの一念でお仕事を続けられ、ようやく夢がかなってあのように立派な家を建てることができました」
「ほぉ、ほぉ」とうなずく老人たち。後ろの席のおばちゃんが「あんな山のきわへ建てちゃぁら。もっと手前へ建てりゃええのによ」と毒づいた。

ホテルがすぐ近くになった頃、添乗員の男子がマイクを握って立ち上がった。「皆様、まもなくホテルに到着です。本日お泊まりいただくのは河口湖ロイヤルホテルともうしますが、あの、有名なロイヤルホテルの系列ではございません。ただの、ロイヤルホテル。また別の、ロイヤルホテルです」と緊張した声で力んだ。

私は事前にネットで宿も確認していたし、1泊2食バス代込み19800円でそんなゴージャスな宿に泊まれるとは思っていない。果たして老人たちは多大な期待を抱いているのだろうか。まわりを見回すと、みんな長時間の移動で疲れた顔になっている。「どうでもええさけ、はよ行って」と前のほうでおばちゃんが言った。

ホテルはまぁ予想通りで、こんなもんやろ、という感じ。部屋に入るとすぐにタオルと着替えを持って温泉に直行だ。お風呂の中まで和歌山弁にまみれるのはいやだしね。冬場の年寄りは、服の着脱に30分ぐらいかかるから先手必勝である。
ゆっくり露天風呂につかって出てきたら、脱衣場でおばちゃんたちがわさわさと服を脱いでいた。

「もうほんまに、がっかりや」「富士山見えたからええけどよ」「どうせ晩ご飯もあかんのちゃうか」「また和歌山へ帰ってからおいしいもん食べに行ったらええわして」と口々に文句を言っている。ホテルが期待はずれだったみたい。それならもっと高いツアーにすればいいと思うのだが…。和歌山県民、ケチなくせにあつかましい。

翌日は山中湖で遊覧船に乗せてもらい、湖上から見事な富士山を眺め、お昼にほうとうを食べた。そうそう、宝石の森とか言う胡散臭い店にも連れていかれた。白亜の宮殿の屋根に真っ赤な王冠が乗っかっている。こういう店と契約しているから安くツアーを組める、というのはもう常識なので、がまんして入るしかない。肩こりがなおる磁気ネックレスとか、運気アップの奇跡の石とかを扱う店だ。店員さんたちは口がうまいようで、老人たちも張り付いて聞きいっている。外観からしてこんなに珍奇なのに、どこをどう信じろというのだろう。

   DSCF2966.jpg

帰りのバスの中で、綾小路きみまろさんのビデオを見せられた。母によると、きみまろさんのビデオは老人向けバスツアーの定番。「中高年の星」と讃えられ絶大な人気らしい。
初めて聞いたきみまろさんの漫談は、中高年を題材にしておもしろおかしく性や病、死を語るものだった。
「外見はヨレヨレ、若い時の元気はどこへやら」
「中高年にダイエットは必要ございません、70、80になったら痩せます」
「くよくよ生きることはありません。人間の死亡率は100%です」
「言ったことを忘れ、言おうとしたことまで忘れました」
などなど。

車内では、おいやんもおばちゃんもガイドさんも喜んでビデオを観ている。生老病死の話で笑い合うことで、元気になれるのかもしれない。
で、ふと思った。これはかつてのお坊さんの説法みたいではないか。宗教が民衆の心をつかめなくなった今、それにかわるものとして、きみまろさんの漫談がお年寄りの人気を集めているのかもしれない。だとすれば、この読売旅行もかつての観音講とか富士講、金比羅講みたいなものかも。地域の人たちが集団で旅をして、聖地に参拝し、ありがたい話のひとつも聞いて帰る。中世に始まった講の現代版として、読売旅行のバスツアーが機能し、そこにきみまろ氏の漫談がセットになっている。と、考えることもできると思うのだが、どうでしょう。


おわり

posted by きたうらまさこ at 19:29| 旅のおはなし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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