2011年10月24日

2011子ども歌舞伎と芸能発表会

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またしても、行ってきました二川歌舞伎。
有田川町二川(ふたがわ)地区住民による、年に一度の芸能発表会だ。
座布団つんで山道を飛ばして、この数年で3回は行っている。
自分でも酔狂な趣味だなぁと思うのだが、これはちょっとやめられない感じかも。

会場は小さな集落の中にある小学校の体育館なんだが、今年も例によって満員御礼。
校長先生の挨拶の後、最初の出し物はもちろん子ども歌舞伎である。
全校児童19名が、三味線、鼓などの楽器を奏でたり、姫やら鶴やらを演じたり、黒子に扮しておひねりを回収したりするわけ。

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みんな堂々としたもので、かなり練習したことがわかる。
今年もおひねり飛ぶ飛ぶ。
客席のあちこちから「じょうずっ!」と声がかかる。「あれ、かえらしの〜」とため息がもれる。
指導をした大人たちは、演技の見事さに感極まって舞台の袖で涙したとか。

さて、ここからもお楽しみ。
足をくずして私は待つ。
出てきた、出てきた。
民謡クラブのおばちゃんが「隅田恋しゃ」と踊れば、翁が登場して詩吟をうなる。
「おじい様(90歳ぐらい)、今年もお元気でよかったわぁ」とほっとする。
でも、前回は立っておられたのだが、今年は「腰が悪いんで座らせてもらいます」とのこと。
ちょっと心配したけど、声は溌剌としていたので、再びほっとする。拍手拍手!!

出た!コスモス。

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30代〜40代ぐらいの主婦たちのグループは、その名をコスモスという。
派手でキュートなダンスはいつも大人気。会場の盛り上がりも相当なものだ。
今年の曲はSMAPの「オリジナルスマイル」。
おひねり飛ぶ飛ぶ。ここまでやったら、そりゃ飛びます。

その後も、父兄の皆さんによるダンス「マルマルモリモリ」、
お父さんが出てきて松山千春の歌をひしっと熱唱、などなど。
「今年は東日本大震災もあって大変な年でした。みんなで、”ふるさと”を歌いましょう」と校長先生が滝廉太郎役で指揮棒をふり、舞台と客席みんなで大合唱する場面もあって、何やら胸が熱くなる。

最後はお決まりの(っていうか全部お決まりなんだが)お芝居で、今年の演目は「瞼の母」(演目は毎年かわる)
娘が母に向かって「おっかさん、お金や家柄が何よ、そんなものより大切なのは血の通った親子の情けじゃぁないの」と可愛らしい声で訴え、母親役の白塗りのおじさんがよよっと泣き崩れる。拍手喝采おひねりおひねり!!

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あぁ、何この熱気。
よそ者ながら私は本当に感動する、っていうか、単純に面白いんである。おかしくておかしくてたまらん。
伝統芸能を見せるだけではなく、時代に合った娯楽性もきちんと追求しているから面白い。
皆さんのその心意気に惚れるし、その心意気がないと伝統そのものも廃れてしまうと思う。
歌舞伎の形式だけを保存するのではなく、地域全体で楽しむことを大切にしている人たちが多くいて、その結果、伝統の歌舞伎と、それを育んだ精神文化が守られている、という好例ではなかろうか。

帰路、車で生石山を越えながら毎回あれこれ思うんだが、今回もいろいろと考えてしまった。
二川地区の皆さんは、これで「町おこし」なんてちっとも考えていないもよう。
無心にやってる表現活動ほど、人を感動させるものはないのだ。たぶん。
いずれにしても、二川に学ぶべきところは多いのである。

前回の記事は以下です。
http://pasaran.seesaa.net/article/108705462.html


posted by きたうらまさこ at 16:42| 紀伊半島 書き歩き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月30日

● kumanoスピリチュアル

 熊野における信仰の起源は、はるか古代に遡る。原始、縄文の民は自然の中に精霊を感じて畏敬した。たとえばゴトビキ岩。現在も神倉神社のご神体として祀られる巨岩だが、岩陰からは幾十にも砕かれた銅鐸の破片が発見されている。
 二月六日の夜、ここを舞台に繰り広げられる御燈祭りでは、およそ二千人の男たちが腹に荒縄を巻いて白装束姿で結集する。松明を手に一気に駆け下りる勇壮な祭典は、人類が初めて火を得た喜び、火への畏れと感謝の心を今に伝えているという。
 あるいは那智の滝。天空から落ちる雨が川をつくり、やがて大きな滝となって絶え間ない瀑音を轟かす。滝壺に満々とたたえられた聖なる水は、多くの生命を育みながら流れ、紺青の太平洋へと注ぎ込む。その崇高なダイナミズムは、古代人の魂をどれほど揺さぶったことだろう。
 彼らは滝の中に、昇天してゆく竜の姿を見て崇めた。水は生命の源であり、森を生かし、人を生かす。あらゆる生物は、連鎖する自然の中でバランスを取りながら共存していることを、しなやかに森を駆けていた彼らは知っていたに違いない。

三体の月が出た夜

 熊野本宮大社の旧社地、大斎原(おおゆのはら)にも不思議な話が残っている。 
 平安時代に記された『熊野権現垂迹縁起』によると、熊野権現は中国の天台山から飛来し、九州から四国、淡路などを経て熊野の神倉山に降臨。その後、三体の月形となり大斎原のイチイの木に現れたとか。 
 見つけたのは大イノシシを追いかけて来た猟師。ようやく仕留めた獲物の肉を食べて夜を明かしていた時、ふと仰いだ木の枝に三つの月が掛かるのを見た。
「どうして月が虚空を離れて木の枝にいらっしゃるのですか」
「我は熊野三所権現である。一枚の月は証誠大菩薩と申す。今二枚の月は両
所権現と申す」
これを聞いた猟師が祠を建てて祀ったのが、熊野本宮大社の始まりとされている。

 大斎原から西に約二十キロ。熊野古道中辺路に沿った集落にも似たような伝説がある。
 ある時、一人の修験者が山里に下りてきて「十一月二三日の月が出た時、わしは神変不可思議な法力を得た。村の衆もその日に月の出を拝むがよい。三体の月が現われるだろう」と告げて立ち去った。
 翌年の十一月二三日、数人の村人たちが疑いながらも月待ちをしていると、修験者の言った通り三つの月が……。

熊楠の神秘体験

 時は流れて明治時代。植物採集のために深い森の中をさまよっていた南方熊楠も、いくつかミステリアスな体験をしたようだ。
 大雲取の山中でヒダル神に取り憑かれた熊楠は「精神が朦朧として仰向けに倒れたが、背負っていた植物採集胴乱が枕となったので幸い頭を打たずにすんだ」と、その状況を書き残している。また、那智山麓の宿では「夜中に自分の頭が抜け出てあたりを飛び回った」とも。

 森羅万象の神秘に注目していた熊楠も、動植物や山や川、石の中に精霊を見る感性を持っていた。だがそれは決して特別なことではない。日本人の心には、古代から連綿と続く自然への畏敬の念がある。だからこそ、おびただしい数の神々が共に存在する多神教文化へと発展したのだろう。そして自然と呼応する感性は、現代人の心の底流にも受け継がれているはずだ。熊野は今、それを確かめるために訪れる聖地ではないだろうか。

     
             
posted by きたうらまさこ at 10:34| 紀伊半島 書き歩き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月08日

● 山が燃えよが潮干狩り

今、地元の古写真を集めて写真集を作っているのだが、身内から変な写真がぽろぽろ出てきた。

これ、とか。


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昭和49年の春に燃えている名草山である。
名草山はちょこちょこ山火事を起こしていたので、みんな慣れっこだったとか。


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ボッボ燃えてきたけど気にせず潮干狩りを楽しむの図、ですね。


それから、我が家のルーツをたどればこんな人も。
昭和42年、庭で酒を酌み交わす老兄弟。名をヨシタカ&ヨシナカと言う。
花見か?

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一升瓶振り上げて満面の笑みのヨシナカさん…。
ワタシにはこんな血が流れてたのね、ありそな話だわぁと感慨深い。

ちなみにこの二人、最後はいつも兄弟げんかで派手に解散となったらしい。
両者ともとっくにあの世だが、お騒がせな兄弟だったと語り継がれている。

身内以外の写真はアップできないが、けっこう面白い写真が色々。
眺めていたら、日本はこの50年ほどで激変したんだな〜としみじみ思う。
環境のためには江戸時代の暮らしに戻さねばってよく言われるけど、ほんの50年巻き戻すだけでもずいぶん違うだろうね。

posted by きたうらまさこ at 22:39| 紀伊半島 書き歩き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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