2012年11月04日

東吉野村・最後の日本狼

数日前の夕刻、奈良の山間部を車で走っていた。東吉野村、鷲家の木津(こつ)峠。道路脇には歌人、前登志夫さんの歌碑があった。横目でちらっと見た瞬間、心の深いところにあるフタが、うっかりあいてしまった。また…前さんを思うといつもこうだ。(お会いしたことはないが)

高見川に沿って細い道をゆく。日没間近の山里には霧が立ちこめて、うすい紫色にけむっていた。ふと、日本狼のブロンズ像が現れた。何度も通っているから、このへんだったかなと思いながら走っていたのだけれど…。

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車をおりてまじまじと見る。意外と小さいものなのね。
明治38年、ここで捕らえられた若雄が、最後の日本狼となった。死体は腐敗が進んでいたらしいが、8円50銭でイギリス人が買っていったそうだ。

傍らの石には、三村純也氏の俳句が刻まれていた。

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狼は亡び 木霊は存ふる
おおかみはほろび、こだまはながらふる。
狼の消えた森で、木霊はながらふることができるのだろうか。
木霊。

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冬の夜をねむらず歩むけものをり雪うすく敷ける星空の下  前登志夫  
                            (歌集『野生の聲』より)




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2012年11月01日

龍神村フィールドワーク6 (出会い淵のゴウラ)



出会い淵のゴウラ
                              文・小谷博史さん

 この話はのう、大熊にずいぶん古くから伝わる話じゃ。この大熊の前には、日高川の本流と高野龍神スカイライン沿いに流れる古河谷が出会う所に、出合いの淵と言うて、青黒い水がとろりとろりと渦巻くそれはそれは大きな淵があった。 
 その上に架けられた欄干橋から淵をのぞくと、知らず知らずに淵の中へ引き込まれていくような気になってくる気味の悪いほど深い淵じゃった。里の人々は魚を釣りに行っても、この淵だけは「くわばら、くわばら」と避けて通り、夏の熱い日でも決して出合いの淵では泳いではならんと、子供たちに厳しく言い聞かせておったそうじゃ。と言うのも、いつの頃からかこの淵には一匹のゴウラ(河童)が住み着いていたからじゃ。

 ---ゴウラ---、それは本当に不思議な姿をした生きものでのう。形は人間のようじゃが、頭のてっぺんには皿みたいなもんをかぶり、口は鳥のくちばしのようにとがり、目はまばたきもせんヘビの目みたいで、背中には細長い甲羅を背負って、体中からいつもぽたぽたと水をたらしておった。
 そして何よりもみんなをおそろしがらせている事は、ゴウラは人間はもちろん、生きものすべてのはらわた(内蔵)が大好物じゃったからじゃ。知らずに淵へ近づくけものや人間に、そろりそろりと近づいて淵へ引きづり込み、おぼれさせておいてから、尻の穴からはらわたを引き抜いて食ってしまうんじゃと。

 ゴウラが近づいて来ると、何とも言えん生臭いにおいが漂うてのう。川の水も水あめのようにねばりつくようになって、水の中から逃げ出そうにも体が思うように動かんようになってしまうんじゃ。
 里の者は、何とかしてゴウラを退治したいと思うて相談したこともあったが、何せ相手は水の中を住み家にして、めったに人に姿を見せんし、淵へ近づけばゴウラに取って食われるし、ええ知恵も出んままずうっと生活をしていたそうな。

 さて、この大熊の里の者の中に、治郎作(じろさく)という男がおった。治郎作は大変な働き者で、朝は早うから畑を耕し、夕方はかみさんが「おとう、ええかげんに夕めし食べようろよう」と呼ぶまで働きどうしじゃった。
 そのせいか、近ごろでは生活も少し楽になって、年とって力の弱くなってきた牛を、若い力のある牛に替えられるほどになっていたので、牛方に頼んでようやくりっぱな牛を手に入れたところじゃった。

 この牛がまた、たいがい大きな牛で他のどの牛よりも倍は力が強かったので、治郎作はこの年、誰よりも早く田起こしを終えることができたそうな。
 治郎作はたいそう喜んで、田んぼ仕事が終わって牛を休ませた日に、出合いの淵の少し下流にある「ゆのくら」という淵の尻へ「ここならゴウラの心配はいらんじゃろう」と言いながら牛を追い込んだ。
 そして「よう働いてくれたのう、お前のおかげでこがいに早う田んぼもすんだ。ほんまにおおきに。今日は体を洗うてやるさかい、ゆっくり休めよ」と言って、牛の頭から足の先までごしごしとこすって洗っておった。牛も気持ちよさそうに目を細めて、時々長いしっぽでぴしりぴしりとアブを追っておった。

 そのうち、何やら生臭い臭いがするような気がして、治郎作が鼻をひくひくさせてあたりを見回すと、何と、川の水までとろりと水あめのようになってきたんじゃと。
 驚いた事にゴウラのやつが、その水の中をすいすいとくぐって来て、やっとの事で水の中からはい出した治郎作には目もくれず「ガバッー!」と姿を現すと大きな牛のしっぽにしがみついて、水の中へ引き込みにかかったそうじゃ。

 牛は驚いて「もぉーっ、もぉーっ」とあばれだし、水からあがろうともがいたが、ゴウラも必死でひっぱるし、水はねとりねとりと粘りついて体が思うように動けん。
 そのうちじりじりと深みの方へ、牛が引っぱり込まれだした。治郎作は岸でぶるぶるふるえておったが、このままでは大事な牛がやられてしまうと気がついて、牛の追い綱を取ると、力いっぱい引っぱった。並の牛ならとっくにはらわたを抜かれる所だが、もともと力が強い。治郎作に力づけられた牛はゴウラにしがみつかれたまま、一気にどどどーっと岸へ飛び上がったそうじゃ。

 さて今度はゴウラの方が驚いた。おかへ上がってしもうたら、水の中の十分の一の力も出んらしく、牛にふり落とされんように、しっぽにしがみついておるだけで精一杯。あれよあれよというまに大熊平まで引こずり上げられてしもうたそうな。
 牛がみょうな物を引っぱって、どかどかと走ってきたので、皆は何事かとわいわい寄り集まって牛を取り押さえておどろいたんじゃ。あれほど恐れていたゴウラが、牛のしっぽにしがみついて口をぱくぱくして苦しがっておるではないか。
 「今じゃ、今じゃ」と手に手に棒やくわを持ってやって来ると、「ようも今までわしらの仲間や、わしらの牛を殺してくれたのう。今こそ恨みをはらしちゃるわい」と言うて、たたき殺そうとしたんじゃ。

 そこへ騒ぎを聞きつけたお寺の和尚がかけつけて来て、「やれ、待て待て。殺生はいかん。皆ちょっとだけ待ってくれ」と言うて皆を止めたんじゃ。
 「皆の衆、腹の立つのはようわかる。けどこいつを殺しても、死んだ者はかえって来やせん。わしにええ考えがある。まぁまかせてみい」と言うと、皆は「坊さん、どがいにするおつもりじゃ」と坊さんの方へ寄ってきた。
 坊さんはゴウラの前に行くと、「これゴウラ、よう聞け。おまえは今まで何人もの人々や何頭もの牛を殺してきた。ここで皆に叩き殺されても文句は言えんぞ。じゃが、お前がほんまに悪かったと思うて、わしの言う事を聞くなら命だけは助けてやろう。どうじゃ」と聞いたんじゃと。

 ゴウラはおかへ引っぱり上げられて力は出らんし、大勢に囲まれて今にも頭の皿をたたき割られそうで恐ろしゅうて、わなわなふるえておったので、一も二もなく「お坊さま、何でも言う通りにします。どうか命だけはお助けください」と、水かきのついた両手を合わせてぺこぺこと頭を地面にこすりつけたそうじゃ。
 「よし、そんじゃお前は、これから夏の間中、大熊平にある田んぼという田んぼに入って草取りをせえ。そうすれば命を助けてやろう」と言うと、ゴウラは「はいはい、何でもいたします。とにかく今は頭の皿が乾いて苦しくてたまりません。どうかお願いですから、皿に水をかけてください」と頼んだんじゃと。
 坊さんは水を汲んでこさせると、ゴウラの頭にざぶざぶとかけてやったそうな。ゴウラは元気を取り戻すと、坊さんと里の皆に礼を言うて急いでこしらえたオリの中へ入って行ったそうな。

 明くる日からゴウラは、牛のように腰へ縄をつけられて、棒を持った男に見張られながら田んぼの中で草取りをさせられたんじゃ。七日たち、十日たちするうちに、下の出合いの淵が恋しくていてもたってもおれんようになってきてのぉ。それに毎日明けても暮れても、泣き出したいほどつらい仕事が待っとる。
 ようやく治郎作の田んぼが終わって清吉の田んぼへ行き、そこもやっとこさ終わって来てみると、もう治郎作の田んぼには草が青々とはえている。「こりゃたまらん」と、とうとうゴウラはおいおい泣き出してしもうたんじゃと。

 皆もゴウラがあんまり悲しそうに泣くもんじゃから、少しばかり可哀想になり、寺へ行って和尚にどうしたもんかと相談したそうじゃ。
 ほいたら和尚はゴウラに言ったんじゃ。「もう二度と悪さをせんと約束できるか。それができれば放してやろう」。ゴウラは「二度と悪い事は致しません。これからは反対に、この川で人々がおぼれたり、流されたりしないように私がお守りしてゆきましょう。この約束は、この寺の庭に松の木が生えるまで、決してやぶりません」と、里の人々とも固く約束をして、それを石に刻んで寺の手水鉢(ちょうずばち)の下へ埋めたそうな。

 それからみんなに連れられて、出合いの淵に放してもろうた。ゴウラは久しぶりになつかしい住み家へもどれたので、その喜びようはたとえようもなかったそうじゃ。何べんも淵の上へ頭を出しては、みんなの方に手を合わせていたが、やがて水の中へ消えると二度と浮かんではこんかったそうじゃ。 
 それからは別に、出合いの淵の回りで、人やけものがやられたという話も出んようになってのう。みんな、安心したそうじゃ。
 そしてゴウラとの約束が、いつまでも破られないように、この寺の庭には、小さい松と言えども、決して植えてはならんと言う言い伝えが残ったそうじゃ。

 そやさかい、今でも龍蔵寺の庭には松の木は見とうても、ないんじゃよ。これでわしの話も終わりじゃ。さぁ、もうみな寝ろらよ。

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【メモ】

●龍蔵寺の開基は応永31(1424)年で、龍神一族の菩提所として建立された。ここの和尚さんは、狼の話、佐治兵衛と山の神、ゴウラの話にやたらと出てきて大活躍。村誌には歴代住職の名と亡くなった年月が記されているが、1440年に最初の住職が亡くなり、その後1967年まで15人。

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●これが噂の手水鉢。後ろに木製の看板があり、ゴウラ伝説が書かれていたのだと思うが、朽ちて読み取ることがでない。無念なり。

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2012年10月23日

龍神村フィールドワーク5(佐治兵衛と山の神)

続いて、「佐治兵衛と山の神」という伝説に出てくる「森の尾」というところに案内してもらった。猟師と山の神が「おがりくらべ」をしたという場所である。(おがる、とは土地の言葉で叫ぶという意味)

実は小谷さん、西垣内の在所の方で、奥龍神の昔話をご自分で書いておられる。見せていただくと、原稿用紙に手書きしたものを綴じ、厚紙の表紙をつけたものだった。表紙にはなんと、色鉛筆でうっすらと河童の絵まで!

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「佐治兵衛(さじべえ)と山の神」と「出合い淵のゴウラ」の2冊。
これらをお借りしてテキストデータにしたものが、以下である。
小谷さんに「ブログにアップしてもいいですか?」と聞いたら、「かまへんよ、なんも悪ぃこと書いてない」と言ってくれたので、まずは佐治兵衛からどうぞ。

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佐治兵衛と山の神
                        文・小谷博史さん

 この話は今からおよそ二百年ほども昔、この大熊でほんとうにあった事なのです。ここには龍神スカイラインから流れてきている古河谷(こがわだに)と呼ばれる川があり、川の入り口から2キロほどの所に西垣内(にしがいと)という里があって、いりくんだ山々と深い谷にはさまれるように、八軒ほどの家がひっそりと生活をしておりました。毎日毎日、わずかばかりの田畑を耕したり、山からたき木を背負ってきたりの生活で明け暮れておりました。

 そんな人々の中に、一人だけ畑を耕すでもなし、たきぎを一荷(いっか)背負うのでもなし、毎日毎日、山でけものを追って日を送っている男がいました。その人の名前は佐治兵衛と言って、猟師仲間では名を知られた腕のいい猟師でした。えものを追って走るときは犬よりも速く走り、その鉄砲にねらわれたが最後、百に一つ、いや、千に一つも助かる目はなしというほどの腕でしたので、いつの間にか佐治兵衛が今までに仕留めた獲物は、いのしし、鹿、熊、合わせて千頭ちょうどにもなっていました。
 この頃の猟師たちは、自分の仕留めたえものは、その都度、紙に書き留めておきました。もし自分の一生のうちに千匹のえものを仕留める事ができたなら、千匹供養をして、それまで命をうばったけものたちの霊をなぐさめましょう、という猟師の間での掟のようなものがあったのです。

 ある日、佐治兵衛は自分が今まで仕留めたえものの数を勘定してみて「えらいもんじゃ、もう千匹もとったんか。こりゃ、千匹供養をせにゃならんけど、今は銭もないし、どうしたもんじゃろう」と思いながら愛用の鉄砲の手入れをしていました。そして、ふとひざを叩いて「そうじゃ、今日はまだ陽も高いし、ええ“ししやま日和”じゃ。こいからなんど、一匹とってきて、そいつ売った銭で千匹供養したらええわい」。

 そう独り言をいいながら、鉄砲の火縄に火をつける炭火を、どびんの古いのに入れると上から灰をかけ、わらじをはき、使いなれた鉄砲をかつぐと、山奥へと入って行きました。
 その日はどういうわけか、えものらしいえものにも出会わず、ずいぶん歩いていつの間にか、阿里郷(ありごう)という所まで来ていました。その時ふと佐治兵衛は「おかしい。今日はなぜえ、こがいに静かなんじゃろう」と思いました。

 今までどうも思わなかったのに、立ち止まって耳をすませてみても、鳥の鳴き声はおろか、川の音まで消えて、おまけに木の枝も絵のように動きを止めて、そよとも風のない不思議な景色の中につつみ込まれているのに気づきました。
 それでも、今まで数多く不思議な事に出会いながらも切り抜けてきた、肝っ玉のすわった猟師なので、気にせずえものを探しながら山の中を歩いて行きました。

 阿里郷の森の尾(もりのお)と呼ばれる場所にさしかかった時のこと。そこは阿里郷谷と古河谷の本流とが出会う所で、大きな木が生え茂り、昼でも霧の発生する、ひんやりとした薄暗い所なのです。
 その山道に、何か白くて長ったらしいものが寝そべっていました。近づいてよく見ると、驚いたことにそれは、大しらがのじいさんでした。さすがの佐治兵衛も「どうしょうかいな。踏み越えて行こか。いや、もどろうかいな」と思案していると、そのじいさんがむっくり起き上がって、にたりにたりと佐治兵衛の方を見て笑うのです。

 佐治兵衛はもう、このじいさんに背中を向けて引き返す事は、ここでじいさんに食われるよりも恐ろしい気がしました。「ええい、どうにでもなれ」と覚悟を決めて、せいいっぱい目をむいてじいさんをにらみつけました。
 だんだんと落ち着いてきて、よくよく見ると、そのじいさんの大きい事。背たけは一丈(3メートル)ほどもあり、目はほおずきのように丸く、真っ赤で、鼻はわしのくちばしのようにとがり、口と言えば、大きな真っ黒い牙が林のようにはえていて、頭も顔も一面に針金のような白髪で、それはそれは恐ろしい形相でした。
 佐治兵衛は今さらながら、千匹供養もしないで狩りに出かけてきた事を後悔しました。そして心の中で「えらいもんに出会ったもんじゃ。もうわしも、ここでやられるかわからん」と思いました。

 するとじいさんが「佐治兵衛、お前は今、えらいもんに出会ったもんじゃ、やられるかわからん、て思よるなぁ」と言うのでびっくりして「こいつはあかん。人の言わん事でも知っとる。見通しじゃぁ」と思いました。するとまた、「佐治兵衛、こいつはあかん、人の言わん事でも知っとる、見通しじゃぁ、って思よろうが」とぬかしくさるので、佐治兵衛は、もう何も思わんとこうとだまりこみました。

 しばらく黙っていると、じいさんが「佐治兵衛、こがいに黙っておっても、おもしろうない。どうじゃ、わしと“ひしりくらべ”(大声を出しあって競うこと)をして、お前が勝ったら助けちゃる。わしが勝ったら、おまえを食うぞ。どうじゃ」と言いました。
 佐治兵衛はもう、覚悟しているし「せんと言っても、どうせ助けてはくれん。どっちみち殺されるんなら、ひしりくらべでも何でもやっちゃれ」と思い、「よっしゃ。そのかわりおじい、おじいがひしる時は、わしゃ耳ふさぐぞ。そんでわしがひしる時は、おじいの目をふさいでくれ。ほいたらやるさかい」と言うと、じいさんは「おうおう、おまえの言うようにしちゃろうぞ」と言いました。

 佐治兵衛は、腹巻きの中の八幡様のお守りの中から、お守り札を取り出すと、二つに引き破って両手の人差し指に巻き付けると耳にせんをして、「さぁおじい、おじいからやってくれ」と言いました。
 おじいは三尺(1メートル)ほども伸び上がって、空気を腹一杯に吸い込むと、暗いほら穴のような口を開けて大声でひしり出しました。

「うぉおぉおおおおおぉ〜!」

 佐治兵衛はお守りのおかげで何も聞こえませんでしたが、じいさんの前にある木という木は地面につくほどにしなりこみ、葉っぱは一枚残らず散ってしまいました。向かいの山を見れば、あちこちで山崩れおこり、緑だった山は見る見る赤土が崩れ落ち、岩がむき出しのがけ山に変わっていきました。

 ずいぶんと長い間、じいさんは大口を開けていましたが、だんだんと口がすぼんできて、近くの木も折れ残ったものは起き上がってきて、やっとじいさんの口が閉じました。
 佐治兵衛がおそるおそる耳から指を抜くと、じいさんは「佐治兵衛、きさまは、ましなやつじゃ。今までわしがひしったら、たいがいのやつは死んでしもうたもんじゃけど、きさまはこたえんなぁ。よし、今度はきさまじゃ。やれ」と言いました。

 「ほんならおじい、目をふさいでくれよ」と佐治兵衛が言うと、じいさんが松の根っこのような両手で目をふさぎました。佐治兵衛は自分の帯をほどいて、その手ごとじいさんの頭をぐるぐる巻きに巻いてしまいました。そうしておいてから、これも魔除けのために肌身はなさずお守りの中に入れて持っていた、八幡様の八の字を刻んだ弾丸を鉄砲にこめました。
 心の中で「弓矢八幡、どうかこの身をお助けください。今日限り、二度と鉄砲は手にしません。再び殺生はいたしません」と念じながら、じいさんに向けて引き金を引きました。「ばーんっ!」という音と、煙がうすれると共に、じいさんの姿は消えてなくなってしまいました。

 佐治兵衛はしばらくの間、ぼんやりとしていましたが、やがて気を取りなおすと、家に向かって歩き出しました。今までのことは夢だろうかと思って、歩きながらあたりをみまわすと、すさまじい山崩れのあと。木は根っこからひっくり返り、川は崩れ落ちた赤土で真っ赤ににごって、夢ではない事をはっきりと示していました。

 やっとのことで我が家に帰り着くと、すぐさま、となりの家へ行って訳を話してお金を借りました。そして愛用の鉄砲をかついで大熊の龍蔵寺へ行き、和尚に頼んで今まで自分が命をうばった千匹のけものに供養を施すと、鉄砲を寺に納めました。
 その鉄砲は普通の鉄砲と違って、台が三寸(10センチ)ばかり長かったので、のちの人々から佐治兵衛筒(さじべえづつ)と呼ばれるようになったそうです。
 また、佐治兵衛が出会った白髪のじいさんは、山の神が彼の思い上がりを正すために姿を現したのだと人々は語り継ぎました。

 その後、龍蔵寺が、ある時期に無住となった時、他の色々な宝と共に佐治兵衛筒も行方知れずとなってしまったそうですが、今でも阿里郷の森の尾と言われる場所の向かいの山は、人はおろか、山のけものさえ、近寄りがたいがけ山となって残っています。

                                    (おわり)
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ううむ。この表現力。山の神のビジュアルが目に浮かぶ。
「じいさんが松の根っこのような両手で目をふさぎました」なんて、書けますか、ふつう…。
私はこれを読ませてもらって、人間の想像力や表現力を磨くのは「自然」なのだと、本当にわかった気がする。自然を身近に感じながら暮らしている人にしか出来ないことって多いなと。

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さて、現場は山の神と佐治兵衛が出会って、おがりくらべをしたあたり。「森の尾」を望む、車道に立つ。
山の神が「うぉおぉおおおおおぉ〜!」とおがると、向かいの山に崖崩れが起きたという…。

「その崩れたところが、あの山やな」

小谷さんがさくっと指をさした。


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【メモ】
● 高野龍神スカイラインの建設中に、小谷さんは現場(森の尾付近)に弁当を届ける仕事をしていた。その時、熊と出くわして、現場監督が転げ落ちてきた。仁王立ちになって、うおーっとあいた熊の口が真っ赤だった。熊もまた、人間が怖いから逃げた。

●「きさまはマシなやつじゃ」という山の神の言葉もわたしは気に入っている。誰かに言ってみたくて疼く。

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