
龍神村にある皆瀬神社の由緒書きには「足利将軍の長禄二年、龍神正直が同地に勧進す」とあるそうだ。
龍神家は龍神村の豪族だったらしく、12代当主の龍神正信はまたの名を皆瀬弾正と称した。彼は小又川森に別宅を構え、本宅と別宅を悠然と行き来した。それを高慢と見た村の若者たちに襲撃され、大乱闘の末に自害に追い込まれる。
弾正36歳、盆踊りの夜のことだった。
うーん。盆踊りの夜っていうのが、いかにもありそう。
闇に村人が集まって踊り狂うなんて、やっぱり異様。年に一度のそんな夜は、何が起こっても不思議じゃないのだ。
皆瀬神社には以前から心ひかれていたのだが、こんなエピソードがあったとは知らなかった。
なぜ心ひかれていたかというと、ものすごく山奥にありながら、気品ある荘厳さを見せているから。春日造りの本殿と悠々とそびえるご神木が神秘的。
それもそのはずで大正13年に大改築された折り、高野山宮大工棟梁を招き、大工、石工、屋根職人など21名が技を競い、特産の檜の銘木を用いて完成させたそう。近くには弾正氏の墓もあり、名門家の悲劇を今に伝えていた。
そこから日高川沿いに下って温泉街に入ると、旅館が軒を連ねている。中でも「上御殿」「下御殿」は由緒ある旅館。
往時のままの姿を残す「上御殿」の入り口には、まるでそれを誇るかのように「龍神」と表札があげられていた。トキメク。
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