2012年10月18日

龍神村フィールドワーク3 (殿垣内の八幡神社)

殿垣内の集落から川(日高川の最上流部)に向かって徒歩でおりていく。
途中の鹿よけネットをくぐりぬけて小道をゆくと、薪が高々と、壁のように積み上げられていた。都会育ちのみずえちゃんは、「薪でお風呂たくんですかっ!?」と大きな目を丸くした。

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ゆるやかな下りの道を歩いていると、やたらと爽やか。マイナスイオンかフィトンチッドか知らないけれど心地よい。
頭上には木々が生い茂り、左手には湿った山肌、右手は川まで日陰の斜面が続く。そこはわさび畑になっていて、獣害を避けるためのネットが張り巡らされていた。どこもかしこもネットやら柵やらで、歩くたびに開けたり閉めたり、もぐったり、乗り越えたり、ややこしい動きをせねばならない。
山間部の人たちが、どれほど鹿やイノシシに手を焼いているのかを痛感。
狼が絶滅せずに生きていたら、野生動物の頭数もバランスがとれていたのだろうか。

八幡神社の小さな社殿は森を背に、川に面してひっそりと鎮座していた。
神社がある場所はたいてい、清浄で、神秘的で、凛とした気配がある。神聖な土地の気配を察して、何かとお祀りしたくなるのが人間のサガみたいなものなんだろう。

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社殿の前には、ぽっかりとひらけた空間があり「昔はここで八幡さんの祭りもやった」と小谷さん。年に一度、山の神の祭りも、ここで執り行ったそうだ。山の神は女の神様だとよく言われるが、龍神村では古くから男神として信仰されている。そして山の神の使いは狼。

河原や対岸を指差しながら、小谷さんが語る。

「あのへんから千匹目の獲物を追いこんで狼が走りこんできて、獲物を河原でかみ殺して、猟師が、ここにあった木ぃに登って火縄銃で…」

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まるで先週起こった事件のように、まるで見ていたように…。
引き込まれて聞いていると、脳みそがぐらっとゆらぐ。現実とファンタジーの境界が曖昧になる瞬間。(って言うか、そもそも境界は必要なのか?)
民話や伝承と、人間の暮らしが、解け合って混在している世界観。この感覚は現地で土地の方からお裾分けしてもらわないと、味わえない種類のものだと思う。


(つづく)

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【メモ】

● 殿垣内八幡は、源頼氏が京都の石清水八幡宮から勧請した神社。

● 昔の猟師は、山の中で「おーい」と一声だけで人を呼ぶことを禁じた。また一声呼びにも答えてはならない、とした。人間の呼び声であることの証として「おーい、おーい、おーい」と三声呼んだ。一声呼びに答えてしまうと、狸に化かされて山中に引き込まれると信じていた。山で歌を歌うことも忌まれた。

伝説「龍神村のオオカミ」はこちらから。
http://pasaran.seesaa.net/article/295007749.html





posted by きたうらまさこ at 11:15 | TrackBack(0) | 紀州の民話・伝説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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