かつて、カナダへの移民が盛んに行われた美浜町三尾地区だが、今は過疎化がすすんでひっそり。
先日、アメリカ村の取材で「カナダアメリカ村資料館」の館長さんにお世話になった。
長年、教師をされていた方で、アメリカ村生まれの82歳。
「父親は15でカナダに渡り、母親は写真結婚で海を渡って嫁いだんです。向こうで兄2人が生まれて帰国してから私が生まれたんですよ」と漁村を歩きながら穏やかな声で話してくれた。
三尾村に戻ってからも、生活スタイルは洋風で部屋にはイスとテーブル、食事も普通にパン食で「今朝はブレッドにしとこか、なんて母親は言うてました。茶粥も食べてましたけどね」と目を細めた。
カナダ移民なのに、なんでアメリカ村なんだと思うかもしれんが、何と言うても昔のこと。資料館には「アメリカ大陸を指す」なんて苦し紛れに書かれていたけど、外国やからアメリカやろ、というノリでしょう。三尾の人達も「カナダに行く」とは言わず「アメリカに行く」と言ってたそうだ。
三尾村におけるカナダ移民の歴史は、明治21年にさかのぼる。大工職人の工野儀兵衛(くのぎへえ)が、単身で密航。バンクーバー郊外の漁村、リッチモンドに落ち着いたのだが、そこから故郷に向けて手紙を送った。
「フレザー河にサケがわく」。
当時、三尾では台風や津波の被害が続き、また、漁場争いで負けたので漁業は一気に衰退していた。吉報を受けた漁師たちは「よっしゃ!サケ獲りにいこ」とばかりに夢を描いて続々と海を渡った。もともと海を渡ってきた海人族だろうし、外国へ移住するぐらいへっちゃらである。「東京の方が遠かった」と、館長さんも言っていた。東京は地続きでも、海人族にとっては心理的に遠いんである。
実は館長さんの祖父と工野儀兵衛さんはいとこにあたる。
工野家には今も工野儀兵衛の孫が住んでいるそうで、細い路地を歩いて家の前まで案内してくださった。昔ながらの漁師の家、という佇まいだ。海から歩いて1分ほどのところで、館長さんの生家もそのあたり。「夏には裸で家から浜まで走っていったよ」と懐かしそうに。
工野家の向かいには、路地をはさんで同じような古い家があり「ここに私の同級生の女の子が住んでます」と館長さんは指差した。82歳の女の子。
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