2012年10月23日

龍神村フィールドワーク5(佐治兵衛と山の神)

続いて、「佐治兵衛と山の神」という伝説に出てくる「森の尾」というところに案内してもらった。猟師と山の神が「おがりくらべ」をしたという場所である。(おがる、とは土地の言葉で叫ぶという意味)

実は小谷さん、西垣内の在所の方で、奥龍神の昔話をご自分で書いておられる。見せていただくと、原稿用紙に手書きしたものを綴じ、厚紙の表紙をつけたものだった。表紙にはなんと、色鉛筆でうっすらと河童の絵まで!

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「佐治兵衛(さじべえ)と山の神」と「出合い淵のゴウラ」の2冊。
これらをお借りしてテキストデータにしたものが、以下である。
小谷さんに「ブログにアップしてもいいですか?」と聞いたら、「かまへんよ、なんも悪ぃこと書いてない」と言ってくれたので、まずは佐治兵衛からどうぞ。

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佐治兵衛と山の神
                        文・小谷博史さん

 この話は今からおよそ二百年ほども昔、この大熊でほんとうにあった事なのです。ここには龍神スカイラインから流れてきている古河谷(こがわだに)と呼ばれる川があり、川の入り口から2キロほどの所に西垣内(にしがいと)という里があって、いりくんだ山々と深い谷にはさまれるように、八軒ほどの家がひっそりと生活をしておりました。毎日毎日、わずかばかりの田畑を耕したり、山からたき木を背負ってきたりの生活で明け暮れておりました。

 そんな人々の中に、一人だけ畑を耕すでもなし、たきぎを一荷(いっか)背負うのでもなし、毎日毎日、山でけものを追って日を送っている男がいました。その人の名前は佐治兵衛と言って、猟師仲間では名を知られた腕のいい猟師でした。えものを追って走るときは犬よりも速く走り、その鉄砲にねらわれたが最後、百に一つ、いや、千に一つも助かる目はなしというほどの腕でしたので、いつの間にか佐治兵衛が今までに仕留めた獲物は、いのしし、鹿、熊、合わせて千頭ちょうどにもなっていました。
 この頃の猟師たちは、自分の仕留めたえものは、その都度、紙に書き留めておきました。もし自分の一生のうちに千匹のえものを仕留める事ができたなら、千匹供養をして、それまで命をうばったけものたちの霊をなぐさめましょう、という猟師の間での掟のようなものがあったのです。

 ある日、佐治兵衛は自分が今まで仕留めたえものの数を勘定してみて「えらいもんじゃ、もう千匹もとったんか。こりゃ、千匹供養をせにゃならんけど、今は銭もないし、どうしたもんじゃろう」と思いながら愛用の鉄砲の手入れをしていました。そして、ふとひざを叩いて「そうじゃ、今日はまだ陽も高いし、ええ“ししやま日和”じゃ。こいからなんど、一匹とってきて、そいつ売った銭で千匹供養したらええわい」。

 そう独り言をいいながら、鉄砲の火縄に火をつける炭火を、どびんの古いのに入れると上から灰をかけ、わらじをはき、使いなれた鉄砲をかつぐと、山奥へと入って行きました。
 その日はどういうわけか、えものらしいえものにも出会わず、ずいぶん歩いていつの間にか、阿里郷(ありごう)という所まで来ていました。その時ふと佐治兵衛は「おかしい。今日はなぜえ、こがいに静かなんじゃろう」と思いました。

 今までどうも思わなかったのに、立ち止まって耳をすませてみても、鳥の鳴き声はおろか、川の音まで消えて、おまけに木の枝も絵のように動きを止めて、そよとも風のない不思議な景色の中につつみ込まれているのに気づきました。
 それでも、今まで数多く不思議な事に出会いながらも切り抜けてきた、肝っ玉のすわった猟師なので、気にせずえものを探しながら山の中を歩いて行きました。

 阿里郷の森の尾(もりのお)と呼ばれる場所にさしかかった時のこと。そこは阿里郷谷と古河谷の本流とが出会う所で、大きな木が生え茂り、昼でも霧の発生する、ひんやりとした薄暗い所なのです。
 その山道に、何か白くて長ったらしいものが寝そべっていました。近づいてよく見ると、驚いたことにそれは、大しらがのじいさんでした。さすがの佐治兵衛も「どうしょうかいな。踏み越えて行こか。いや、もどろうかいな」と思案していると、そのじいさんがむっくり起き上がって、にたりにたりと佐治兵衛の方を見て笑うのです。

 佐治兵衛はもう、このじいさんに背中を向けて引き返す事は、ここでじいさんに食われるよりも恐ろしい気がしました。「ええい、どうにでもなれ」と覚悟を決めて、せいいっぱい目をむいてじいさんをにらみつけました。
 だんだんと落ち着いてきて、よくよく見ると、そのじいさんの大きい事。背たけは一丈(3メートル)ほどもあり、目はほおずきのように丸く、真っ赤で、鼻はわしのくちばしのようにとがり、口と言えば、大きな真っ黒い牙が林のようにはえていて、頭も顔も一面に針金のような白髪で、それはそれは恐ろしい形相でした。
 佐治兵衛は今さらながら、千匹供養もしないで狩りに出かけてきた事を後悔しました。そして心の中で「えらいもんに出会ったもんじゃ。もうわしも、ここでやられるかわからん」と思いました。

 するとじいさんが「佐治兵衛、お前は今、えらいもんに出会ったもんじゃ、やられるかわからん、て思よるなぁ」と言うのでびっくりして「こいつはあかん。人の言わん事でも知っとる。見通しじゃぁ」と思いました。するとまた、「佐治兵衛、こいつはあかん、人の言わん事でも知っとる、見通しじゃぁ、って思よろうが」とぬかしくさるので、佐治兵衛は、もう何も思わんとこうとだまりこみました。

 しばらく黙っていると、じいさんが「佐治兵衛、こがいに黙っておっても、おもしろうない。どうじゃ、わしと“ひしりくらべ”(大声を出しあって競うこと)をして、お前が勝ったら助けちゃる。わしが勝ったら、おまえを食うぞ。どうじゃ」と言いました。
 佐治兵衛はもう、覚悟しているし「せんと言っても、どうせ助けてはくれん。どっちみち殺されるんなら、ひしりくらべでも何でもやっちゃれ」と思い、「よっしゃ。そのかわりおじい、おじいがひしる時は、わしゃ耳ふさぐぞ。そんでわしがひしる時は、おじいの目をふさいでくれ。ほいたらやるさかい」と言うと、じいさんは「おうおう、おまえの言うようにしちゃろうぞ」と言いました。

 佐治兵衛は、腹巻きの中の八幡様のお守りの中から、お守り札を取り出すと、二つに引き破って両手の人差し指に巻き付けると耳にせんをして、「さぁおじい、おじいからやってくれ」と言いました。
 おじいは三尺(1メートル)ほども伸び上がって、空気を腹一杯に吸い込むと、暗いほら穴のような口を開けて大声でひしり出しました。

「うぉおぉおおおおおぉ〜!」

 佐治兵衛はお守りのおかげで何も聞こえませんでしたが、じいさんの前にある木という木は地面につくほどにしなりこみ、葉っぱは一枚残らず散ってしまいました。向かいの山を見れば、あちこちで山崩れおこり、緑だった山は見る見る赤土が崩れ落ち、岩がむき出しのがけ山に変わっていきました。

 ずいぶんと長い間、じいさんは大口を開けていましたが、だんだんと口がすぼんできて、近くの木も折れ残ったものは起き上がってきて、やっとじいさんの口が閉じました。
 佐治兵衛がおそるおそる耳から指を抜くと、じいさんは「佐治兵衛、きさまは、ましなやつじゃ。今までわしがひしったら、たいがいのやつは死んでしもうたもんじゃけど、きさまはこたえんなぁ。よし、今度はきさまじゃ。やれ」と言いました。

 「ほんならおじい、目をふさいでくれよ」と佐治兵衛が言うと、じいさんが松の根っこのような両手で目をふさぎました。佐治兵衛は自分の帯をほどいて、その手ごとじいさんの頭をぐるぐる巻きに巻いてしまいました。そうしておいてから、これも魔除けのために肌身はなさずお守りの中に入れて持っていた、八幡様の八の字を刻んだ弾丸を鉄砲にこめました。
 心の中で「弓矢八幡、どうかこの身をお助けください。今日限り、二度と鉄砲は手にしません。再び殺生はいたしません」と念じながら、じいさんに向けて引き金を引きました。「ばーんっ!」という音と、煙がうすれると共に、じいさんの姿は消えてなくなってしまいました。

 佐治兵衛はしばらくの間、ぼんやりとしていましたが、やがて気を取りなおすと、家に向かって歩き出しました。今までのことは夢だろうかと思って、歩きながらあたりをみまわすと、すさまじい山崩れのあと。木は根っこからひっくり返り、川は崩れ落ちた赤土で真っ赤ににごって、夢ではない事をはっきりと示していました。

 やっとのことで我が家に帰り着くと、すぐさま、となりの家へ行って訳を話してお金を借りました。そして愛用の鉄砲をかついで大熊の龍蔵寺へ行き、和尚に頼んで今まで自分が命をうばった千匹のけものに供養を施すと、鉄砲を寺に納めました。
 その鉄砲は普通の鉄砲と違って、台が三寸(10センチ)ばかり長かったので、のちの人々から佐治兵衛筒(さじべえづつ)と呼ばれるようになったそうです。
 また、佐治兵衛が出会った白髪のじいさんは、山の神が彼の思い上がりを正すために姿を現したのだと人々は語り継ぎました。

 その後、龍蔵寺が、ある時期に無住となった時、他の色々な宝と共に佐治兵衛筒も行方知れずとなってしまったそうですが、今でも阿里郷の森の尾と言われる場所の向かいの山は、人はおろか、山のけものさえ、近寄りがたいがけ山となって残っています。

                                    (おわり)
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ううむ。この表現力。山の神のビジュアルが目に浮かぶ。
「じいさんが松の根っこのような両手で目をふさぎました」なんて、書けますか、ふつう…。
私はこれを読ませてもらって、人間の想像力や表現力を磨くのは「自然」なのだと、本当にわかった気がする。自然を身近に感じながら暮らしている人にしか出来ないことって多いなと。

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さて、現場は山の神と佐治兵衛が出会って、おがりくらべをしたあたり。「森の尾」を望む、車道に立つ。
山の神が「うぉおぉおおおおおぉ〜!」とおがると、向かいの山に崖崩れが起きたという…。

「その崩れたところが、あの山やな」

小谷さんがさくっと指をさした。


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【メモ】
● 高野龍神スカイラインの建設中に、小谷さんは現場(森の尾付近)に弁当を届ける仕事をしていた。その時、熊と出くわして、現場監督が転げ落ちてきた。仁王立ちになって、うおーっとあいた熊の口が真っ赤だった。熊もまた、人間が怖いから逃げた。

●「きさまはマシなやつじゃ」という山の神の言葉もわたしは気に入っている。誰かに言ってみたくて疼く。

posted by きたうらまさこ at 10:57 | TrackBack(0) | 紀州の民話・伝説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月19日

龍神村フィールドワーク4 (五百原の犬戻り猿戻り)

再び車に乗り込み、2台連ねて高野龍神スカイラインを目指す。昭和55年に完成した高野山と龍神村を結ぶ山岳道路で、ここを走ると紀伊山地の奥深さ、険しさがわかる。(冬期は凍るので閉鎖される)

6軒ほどの家が点在する西垣内(にしがいと)の集落を下に見て、5分ほど走って到着したのは「犬戻り猿戻り」。言うまでもないが、あまりに険しい崖で犬も猿も越えられなくて帰りました、の意。150年前、長尾熊吉さんが狼の子どもを見つけた崖がある場所だ。
「五百原谷川」と刻まれた橋の上から、4人並んで渓谷を見下ろす。日高川の源流がずいぶん下のほうに見えた。
「こんなとこへ、よう道つけたもんや」と小谷さん。かつての姿を知っている方にとっては、まさかの大変貌なのだろう。

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川をはさんで、向かいの山の中腹には、人が歩ける細い道があるそうだ。150年前、長尾さんはそこから覗き込んで狼の子を見つけた。
母狼に向かって「おーい、子ども一匹おいといてくれー。大事に飼うさかー」と言っておいたら、必ず一匹その場へ残しておいてくれる、ものらしい。
長尾熊吉さんは藤かずらや木の根を伝って崖をおりていき、狼の子をふところに入れた。そして姿の見えない母狼に「もろうていくでー。大事に飼うさかいなぁー」と大声で呼びかけたとか。

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「わしも50年前ほど前に、おやじと木を伐り出したのはこの場所や。初めての山仕事やった」
山を見上げて小谷さんが言った。
そして、
「あの山の、こっち側が奈目良(なめら)さんの家があったとこや」と、ふいに。

気になっていた名前が出たので、はっとする。村誌(昭和62年編さん)に名前のあった方だ。奈目良宗市さん。熊には霊力があるから、昔はふんどしで熊の目を隠したという話をした猟師さんである。

奈目良さんが住んでいたのは、西垣内からは1キロほど上流で、半時間歩いてたどり着く五百原の在所。もとは7、8軒の民家があったというが、昭和28年の水害で山津波に呑まれ、集落はなくなった。(もしかしたら八幡さんの大木もその時に流されたのかも)

「その後、荒廃しきった土地にしがみつき、わずかばかりの田畑と椎茸とそしてクマ捕りに生命をかけてきた人、それは奈目良宗一氏ただ一人であった」と村誌は記録している。

今、廃墟となった五百原はどうなっているのだろう。殿垣内から西垣内をへて、歩いて行ってみたい。どんな場所で、どんなふうに、山の人たちは暮らしてきたのか。
夜とか、ものすごく深い闇なんだろうな。
広大無辺な樹海の入り口で、妄想にまみれる。

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ここで再び、宇江敏勝さんの『山の木のひとりごと』「マヨヒガ」の章より。

 たとえば一つの川筋を一本の木だとして、川かみの支流の集落を根だとすると、いままさにその根の部分が腐食し消滅しているのだ。木の幹にあたる川しもの町や村の中心部にはまだ商店が並び、若者や子供の姿もあって、賑わっているふうに見える。だが根の先の腐れは、やがてそこにも影響を及ぼすだろう。この木はいまや成長をとめ、もしかしたら枯れるかもしれないのである。
 これもまた近代化のもたらした一つの結果である。なぜこのような不都合がおきてきたのか。
 おおまかにいえば、道路ができたのも、自動車や電気製品が普及したのも、都市の側の急激な経済成長のペースで実現したことで、山村の主体性はどこにもなかったからだ。つねに都市の動向に追従し、支配されてきた。しかも膨大な森林資源を供給しながらである。

宇江さんはしかし、「長いサイクルで見れば、また山と森の生活が見直されて、甦ることを信じる」と、書いておられる。
「やがて反省の時代がくるにちがいない」と。
この本が出版されてから今年で28年。猛反省の時代の渦中に、今まさに我々はいるわけで。



(つづく)
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【メモ】

● 村誌によると、奈目良宗市氏は奈目良雅楽頭の末裔であるそうだ。「長身痩躯であるが、彼の風貌には野武士の気品がうかがわれた」と。
奈目良雅楽頭って、なにかわからんのですが。

と思って検索したら、これが…。
http://www.aikis.or.jp/~eiji-ito/ryujin/hometown_cultural_06.htm
奈目良家の屋敷跡があるもよう。このページ、もうちょっと説明文があってもいいと思う。これを見に行くような酔狂なやつはおらんやろと思ってるんかしらんけど、わたしは行きたい。(熊が冬眠したら)

● 五百原は平家一族の亡命の地とされる。龍神の女性、お万と平維盛の悲恋の伝説がある。

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【お知らせ】

和歌山市の匠町ギャラリーにて「Back Country 龍神村展」が開催されます。
mizooさんのワークショップもある?かもしれない。お問い合わせください。
↓クリックで拡大します。

OLD&NEWチラシ(BA5-4小.jpg

こちらは毎年、恒例の龍神村・翔龍祭。
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posted by きたうらまさこ at 22:17 | TrackBack(0) | 紀州の民話・伝説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月18日

龍神村フィールドワーク3 (殿垣内の八幡神社)

殿垣内の集落から川(日高川の最上流部)に向かって徒歩でおりていく。
途中の鹿よけネットをくぐりぬけて小道をゆくと、薪が高々と、壁のように積み上げられていた。都会育ちのみずえちゃんは、「薪でお風呂たくんですかっ!?」と大きな目を丸くした。

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ゆるやかな下りの道を歩いていると、やたらと爽やか。マイナスイオンかフィトンチッドか知らないけれど心地よい。
頭上には木々が生い茂り、左手には湿った山肌、右手は川まで日陰の斜面が続く。そこはわさび畑になっていて、獣害を避けるためのネットが張り巡らされていた。どこもかしこもネットやら柵やらで、歩くたびに開けたり閉めたり、もぐったり、乗り越えたり、ややこしい動きをせねばならない。
山間部の人たちが、どれほど鹿やイノシシに手を焼いているのかを痛感。
狼が絶滅せずに生きていたら、野生動物の頭数もバランスがとれていたのだろうか。

八幡神社の小さな社殿は森を背に、川に面してひっそりと鎮座していた。
神社がある場所はたいてい、清浄で、神秘的で、凛とした気配がある。神聖な土地の気配を察して、何かとお祀りしたくなるのが人間のサガみたいなものなんだろう。

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社殿の前には、ぽっかりとひらけた空間があり「昔はここで八幡さんの祭りもやった」と小谷さん。年に一度、山の神の祭りも、ここで執り行ったそうだ。山の神は女の神様だとよく言われるが、龍神村では古くから男神として信仰されている。そして山の神の使いは狼。

河原や対岸を指差しながら、小谷さんが語る。

「あのへんから千匹目の獲物を追いこんで狼が走りこんできて、獲物を河原でかみ殺して、猟師が、ここにあった木ぃに登って火縄銃で…」

DSCF3635.jpg

まるで先週起こった事件のように、まるで見ていたように…。
引き込まれて聞いていると、脳みそがぐらっとゆらぐ。現実とファンタジーの境界が曖昧になる瞬間。(って言うか、そもそも境界は必要なのか?)
民話や伝承と、人間の暮らしが、解け合って混在している世界観。この感覚は現地で土地の方からお裾分けしてもらわないと、味わえない種類のものだと思う。


(つづく)

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【メモ】

● 殿垣内八幡は、源頼氏が京都の石清水八幡宮から勧請した神社。

● 昔の猟師は、山の中で「おーい」と一声だけで人を呼ぶことを禁じた。また一声呼びにも答えてはならない、とした。人間の呼び声であることの証として「おーい、おーい、おーい」と三声呼んだ。一声呼びに答えてしまうと、狸に化かされて山中に引き込まれると信じていた。山で歌を歌うことも忌まれた。

伝説「龍神村のオオカミ」はこちらから。
http://pasaran.seesaa.net/article/295007749.html





posted by きたうらまさこ at 11:15 | TrackBack(0) | 紀州の民話・伝説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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