2010年06月29日

小説家の内緒話

友人が山田詠美と瀬戸内寂聴の対談本『小説家の内緒話』を貸してくれた。
山田詠美さんの小説はずいぶん前にいくつか読んだ記憶がある。今でも好きな作家の一人だ。
寂聴さんは出家する前、瀬戸内晴美を名乗っていた頃の作品から好んで読んだけれど、私が若すぎたのかあんまり記憶に残っていない。が、寂聴さんは作品よりも人物のほうが面白そうなので、怖いもん見たさでずっと注目している。
何が怖いって…。
思春期だった私の目には、彼女は「難義なおばはん」に見え、あんな人が家族や親戚にいたら大変やなぁと思わせるものがあったのだ。
あの手の破壊型な女は、平安を求める子どもにはかなわんのである。

寂聴さんはこの対談でも、相変わらずの生臭さを炸裂させながら芸術至上主義を説いていた。
作家は芸術家であり、才能だけの世界だから純粋である。しかも芸術は後世に残るからすごいのだ、と。
「私は特に芸術が上等だと思っているの。(芸術家は)普通と違うの!」と力む。
いるよね、こういう人。

しかしある時、寂聴さんの作品を読んだ宇野千代さんは、彼女にこう言ったそうである。
「瀬戸内さん、あなたは小説家を特別の職業と思ってる。そこが間違っている。小説家なんて、パン屋や八百屋と同じよ。そう思いなさい」
寂聴さんは幾日か考えたあげく、「やっぱり、小説家はパン屋や八百屋とは違う」との結論に至ったそうだ。

ふむふむ。
パン屋や八百屋と小説家が同じかどうか私はわからないが、面白いエピソードだなぁと思う。
宇野千代さんだって作家である限り、命をけずって書いていたに違いない。(長生きだったけど)
でも、それを大げさに考えてなさげな宇野さんが天才なのか、それとも、双方の美意識の違いか。
……こう書くと寂聴さんをちょっと批判しているみたいだが、そんなことはない。
私自身も小物ながら「やや難義なおばはん」になってしまったという事もあり、寂聴さんを見ていると「正直な人間ほど面白いもんはない」と感心する。

そのあと、田辺聖子さんのエッセイを読んでいたら、「作家も死ねば忘れられるし、小説なんかも忘れ去られるもんよ」と、さらりと書いていて可笑しかった。
例えば、今の時代では漱石、鴎外、谷崎、太宰、三島ぐらいしか名前が知られていないし、志賀直哉や川端康成でさえ、もう危ういんだとか。
「小説は流行り歌にもかなわない。小説は力弱きもの」と語る田辺さんに、「後世に残る芸術」と胸をはる寂聴さんなら何て言うだろう。

実は私、田辺聖子さんのファンである。
古典に興味を持ったのは、学校の先生ではなく田辺聖子さんのおかげだし、彼女の文章のテンポが、私には大変心地よい。
音のような歯切れのいい文章と、大阪人的なツッコミが好き。
それもそのはずで田辺さん「読む落語」を目指して書いているそうだ。芸術を振りかざす無粋さに比べたら、「読む落語」とは何だか粋で品がある。
こういう粋が上方文化なのだろうか? 知らんけど。

    ◆意地悪を書いた指さき蚊にさされ


posted by きたうらまさこ at 18:36| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月22日

熱帯のベティさん

少し前に、『悲しき熱帯』を読んだ。
人類学者のレヴィ=ストロースが1935年にブラジルをフィールドワークした記録で、先住民であるインディオたちの生活(未開社会)が豊かな表現力で描かれている名著である。と、いうのは、聞きかじりで知っていたけれど、いざ読んでみると文体があまりに文学的で私には難解だった。
文章がやたらとわかりにくいし、舞台となるブラジルが、なかなか出てこないのにもうんざり。
やっと出てきたのは第3部のあたりで、ここからは確かに面白いし、読んでいると、異文化を遊泳しているような感傷的な気分になる。
でも、読者に対するそのアプローチの仕方は、学問としてはどうなのよ?と少し疑問に思った。
これは学術書ではなく、文学として読むものなのかな。いや、そんなしょうもない区別はいらんのか。

にしても『悲しき熱帯』というタイトルが魅力的。
どこか甘美で、切なくて、日本人の心の琴線に触れると思う。
和訳した川田順造氏は、他に適当な日本語に置き換えられなかったからやむをえず使った、と書いていたが、このタイトルにひかれて手にとった人も多いはずだ。
川田順造氏についても知りたくなったので、著書の一つ『ブラジルの記憶 〜悲しき熱帯は今〜』を読んでみた。
レヴィ=ストロースがブラジルを調査した50年後、雑誌『ブルータス』の取材で川田氏はブラジルを訪れている。
レヴィ=ストロースの弟子でもあった川田氏は、ブラジルの奥地で師の足跡を感じつつ原住民たちの暮らしを見つめるのだが、これが、面白かった。
なにより、表紙の写真が良い。ナンビクワラ族のベティさん、である。

ベティさんはいつも素っ裸で暮らしていて、森の中を颯爽と歩いて薪やバナナをとりにいく。
彼女、まるまると健康そうに太っていて若く見えるが、推定年齢は60歳以上なのでブラジル政府から養老年金を受けているそうだ。(インディオは未成年者や禁治産者扱いで、ブラジル市民とは認められていないがインディオ保護政策によって守られている側面もある)
「その臆することのない全裸の巨躯には、人間の最も根源的な尊厳、あらゆる小賢しい批判や教訓をしずかに拒む威信がある」と川田氏。
女性の裸が商品化されていない社会では、女は何歳でもこんなに堂々と自分をさらけ出すことができるのね、と感慨深い。

      ◆ 密林に裸の女と熟れバナナ

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posted by きたうらまさこ at 16:36| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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