2010年04月13日

余呉湖の伝説

実は先日、京都に泊まろうと思ったのには理由があった。
ちょうど3年前、大津の三橋節子美術館に行ったんだが、その時、絵画の中にみた神秘的な湖がずっと気になっていたのだ。
で、せっかくだから足をのばして、翌日行ってみようかなと。

湖の名は余呉(よご)湖と言って、滋賀県の最北端に位置する。京都から高速で1時間半ぐらいかかっただろうか。
名神から北陸道に入って米原を超えると、もうほとんど福井。高速をおりて田舎道をしばらく走ると、三方を山に囲まれたこぢんまりした湖があらわれた。
周囲の山並や木々を映した湖面、その上を水鳥が連なって滑っている様子はまさに鏡湖(余呉湖の別名)で、桜はまだ少し早かったけれど、黄色い菜の花が湖をところどころに縁取っている。あたりはしんと静まって人の気配もなく、鳥のさえずりしか聞こえない。対岸に見える小さな集落も、昔話の絵本のようでリアルにあるとは信じがたい。
期待していた以上にファンタジ〜。

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湖畔のベンチでおにぎりを食べ、空想やら妄想やらを楽しんだあと(老後の事も少し考えたりした)、再び車に乗り込んでゆっくりと湖を一周した。
途中、何箇所かに案内板があるのだが、読めばこのあたりは安土桃山時代の合戦の舞台であったらしい。
柴田勝家と羽柴秀吉は余呉湖をはさんで南北で睨み合っていたのだが、勝家の奇襲攻撃で闘いがはじまって「湖が血で赤く染まった」なんていうエピソードが記されていた。
この手の歴史はよくわからないので、ご冥福を祈って立ち去る。

次に見つけたのは、湖のほとりに祀られた目玉石だ。
ここには次のような話が残っていた。

桐畑太夫という男が集落に都落ちしてきた。娘が一人生まれて菊石姫と名付けられたが、7歳ぐらいになると、全身に蛇の模様が浮き出てきた。そのため家に置いておけず、離れた場所に小屋を建てて隠しておいた。食事を運ぶのは乳母である。
菊石姫が17歳になったころ、日照りが続いて作物も枯れはじめた。菊石姫は「人々を救うため、私が雨を呼びましょう」と湖に身を投げた。その姿はたちまち龍になり、雷鳴が轟いたかと思うと大粒の雨が降り始めた。龍は片方の目玉をぬき取り、乳母に与えて湖の底に消えていった。その目玉には霊力があり、なめると流行り病がなおったそうだ。

後日談もある。

噂を聞いたお上が「目玉を差し出せ」と言ってきた。しかも「二つ」と。
困った乳母が湖のほとりで菊石姫を呼ぶと、姫はもう片方の目玉を取り出して岸に向かってほうり投げた。そして石を枕にして痛みがひくのを待ってから、こう言った。「目が見えなくなって、これでは時がわかりません。湖の四方に堂を建て、鐘をついて時を知らせてほしい」。
そして「こんな醜い姿になったのだから、もう二度と呼び出さないで。私に会いたくなったらこの石を見てください」と告げると湖の底に消えてしまったという。

なんだか…。

「なんだか、あやしい感じ」と思いながら私はその石のまわりをぐるっとまわった。そもそも桐畑太夫という人は土地の者ではない。集落の人たちから見たら異人。この伝説は、雨乞いのための人身御供、生け贄として捧げられた娘がいたことが起源かも。

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車に戻ってしばらく走ると集落があり、余呉湖の北岸に出ると一本の大きな柳の樹があった。

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その昔、天女が空から降りて来て、脱いだ羽衣を柳の枝にかけて水浴びをしていた。土地の男がその姿に魅了されて、そっと近寄っていって羽衣を隠した。羽衣がないと帰れないので天女が途方に暮れていると「私の家にある着物を差し上げましょう」と言って男は彼女を家に連れて帰る。
ほどなく二人は夫婦となって子どもももうけるが、ある時、天女は夫がこっそり隠していた羽衣を見つけてしまう。
ゆえに夫も子どもも放置して天に帰っていった。

という、よく聞くストーリー。
夫のやった事があまりに小さいので、一気に嫌気がさしたとも考えられる。
伝説では「涙ながらに帰っていった」ということになっているが、子どもへの未練だろうか。
それでも羽衣を「見なかったこと」にはできなかった気持ちもわかる。

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両目を失った姫は湖底に沈み、羽衣を取り戻した天女は宙へ消えた。

そういえば、余呉湖の伝説を描いた三橋節子さんは死ぬ間際、幼い子どもたちに宛てた最後の手紙に「さよなら△またきて□ バイバイ」と書いていた。泣く。

     ◆ 余呉の湖(うみ)消えた天女を知る柳




posted by きたうらまさこ at 18:48| 旅のおはなし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月07日

春のKyoto

名古屋から帰省していた娘を乗せて京都へドライブ。
娘のカレシが京都に住んでいて、帰り道に会いに行くというので送っていったのだ。(彼らは遠距離恋愛中)
彼が住む古い学生アパートの前に立ち、にこにこ顔で私に手をふる娘…。
なんていうか、ユニークな女の子だわと思いつつ私もバイバイと手をふる。

一人になったので、さて、どこに行くかなと考えた。
京都は今、桜が満開で観光客も多い。街はえらく混んでいそうなので大原に向かって車を走らせた。
この選択は大正解。
到着したのは夕方で、観光客もぼつぼつ帰りはじめていてひっそり。
暮れてゆく山里の色が美しくてたまらない。

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「大原温泉」の看板にひかれて、寂光院がある集落に入っていった。
細い道をくねくねと走っていくと民宿が数軒あり、温泉だけでも利用できるとのこと。
うれしい。

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なかなか風情のある民宿で、お風呂もしっとりした雰囲気だ。
露天風呂もあって、山ぎわには釜風呂まである。
お客さんが誰もいなくて、私ひとりで釜風呂につかっていると、ゴーンと寂光院の鐘がなった。
尼さんがついているんだろうか。
平家物語って「祇園精舎の鐘の音 諸行無常の響きあり」だったっけ??と思いつつ頭にタオルを乗せてぼけっとしている。
「あんた、気楽でケッコやな」といつもの母の嫌味が聞こえてきそうだが、結構か結構でないかは本人にしかわからない。
「ケッコなのはたぶんあなたの孫であり、私ではない」と、私は思う。まぁそもそも変な遺伝子だし。

しばらくすると、初老の女性グループやら、アジア系外国人女性のグループやらがどやどやと入ってきた。
「どこから来はったん?」とおばちゃんが聞くと「タイワン、タイワン!」と若い女の子たちが答えた。「うちらも台湾行ったことあるで」とおばちゃんは身振り手振りで異文化交流。
国際色豊かでハイカラな釜風呂になったので、会話に入れない私はそそくさと退場。

市街地に戻って、せっかくなので鴨川沿いの桜を眺めた。さすがに妖艶だ。鳥たちも桜にやられて狂ったように飛びまわっていた。
それから京大近くにあるインドカレーの店に行った。
京都に来るとよく立ち寄るのだが、この日は「たけのこキーマカレー」というのがあったので、それを玄米ごはんで注文した。
隣の席には欧米人の男女3人。彼らは旅行者ではなくて、京都に暮らしている常連客みたいだ。脳みその表面を滑っていく英会話を聞き流しながらカレーを食べていると、しみじみと京都っぽい。

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ああ、もう帰りたくない!
と、突然そんな気分になっても大丈夫。京都には安いゲストハウスが色々あるし、気持ちに余裕がある時ならビジネスホテルより味わい深い。
その夜、私が泊まったのは小世界旅社というゲストハウスで、ドミトリーなら一泊2000円。

ここ。↓
http://www.k3.dion.ne.jp/~swg/

もともとは普通の町家だし、内部は意外におしゃれな大正ロマン風だ。
2段ベットにもぐりこんで、枕もとのライトをつけて太宰治を読んでいると、作品と部屋が不気味なぐらいにしっくりくるので激しく集中できた。
でもしばらくしたら、ここにもアジア系外国人(中国かも?)の女の子たちがやってきた。
隣室から聞こえるおしゃべりが少しうるさかったけれど、可愛らしい声なので慣れれば心地よいし、久しぶりにゲストハウスに泊まったのでそういうのも懐かしくて良かった。

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  ◆ 遺伝子の二重螺旋の形して群れ飛ぶ鳥を見る夕まぐれ



posted by きたうらまさこ at 01:14| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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