2009年06月30日

● kumanoスピリチュアル

 熊野における信仰の起源は、はるか古代に遡る。原始、縄文の民は自然の中に精霊を感じて畏敬した。たとえばゴトビキ岩。現在も神倉神社のご神体として祀られる巨岩だが、岩陰からは幾十にも砕かれた銅鐸の破片が発見されている。
 二月六日の夜、ここを舞台に繰り広げられる御燈祭りでは、およそ二千人の男たちが腹に荒縄を巻いて白装束姿で結集する。松明を手に一気に駆け下りる勇壮な祭典は、人類が初めて火を得た喜び、火への畏れと感謝の心を今に伝えているという。
 あるいは那智の滝。天空から落ちる雨が川をつくり、やがて大きな滝となって絶え間ない瀑音を轟かす。滝壺に満々とたたえられた聖なる水は、多くの生命を育みながら流れ、紺青の太平洋へと注ぎ込む。その崇高なダイナミズムは、古代人の魂をどれほど揺さぶったことだろう。
 彼らは滝の中に、昇天してゆく竜の姿を見て崇めた。水は生命の源であり、森を生かし、人を生かす。あらゆる生物は、連鎖する自然の中でバランスを取りながら共存していることを、しなやかに森を駆けていた彼らは知っていたに違いない。

三体の月が出た夜

 熊野本宮大社の旧社地、大斎原(おおゆのはら)にも不思議な話が残っている。 
 平安時代に記された『熊野権現垂迹縁起』によると、熊野権現は中国の天台山から飛来し、九州から四国、淡路などを経て熊野の神倉山に降臨。その後、三体の月形となり大斎原のイチイの木に現れたとか。 
 見つけたのは大イノシシを追いかけて来た猟師。ようやく仕留めた獲物の肉を食べて夜を明かしていた時、ふと仰いだ木の枝に三つの月が掛かるのを見た。
「どうして月が虚空を離れて木の枝にいらっしゃるのですか」
「我は熊野三所権現である。一枚の月は証誠大菩薩と申す。今二枚の月は両
所権現と申す」
これを聞いた猟師が祠を建てて祀ったのが、熊野本宮大社の始まりとされている。

 大斎原から西に約二十キロ。熊野古道中辺路に沿った集落にも似たような伝説がある。
 ある時、一人の修験者が山里に下りてきて「十一月二三日の月が出た時、わしは神変不可思議な法力を得た。村の衆もその日に月の出を拝むがよい。三体の月が現われるだろう」と告げて立ち去った。
 翌年の十一月二三日、数人の村人たちが疑いながらも月待ちをしていると、修験者の言った通り三つの月が……。

熊楠の神秘体験

 時は流れて明治時代。植物採集のために深い森の中をさまよっていた南方熊楠も、いくつかミステリアスな体験をしたようだ。
 大雲取の山中でヒダル神に取り憑かれた熊楠は「精神が朦朧として仰向けに倒れたが、背負っていた植物採集胴乱が枕となったので幸い頭を打たずにすんだ」と、その状況を書き残している。また、那智山麓の宿では「夜中に自分の頭が抜け出てあたりを飛び回った」とも。

 森羅万象の神秘に注目していた熊楠も、動植物や山や川、石の中に精霊を見る感性を持っていた。だがそれは決して特別なことではない。日本人の心には、古代から連綿と続く自然への畏敬の念がある。だからこそ、おびただしい数の神々が共に存在する多神教文化へと発展したのだろう。そして自然と呼応する感性は、現代人の心の底流にも受け継がれているはずだ。熊野は今、それを確かめるために訪れる聖地ではないだろうか。

     
             
posted by きたうらまさこ at 10:34| 紀伊半島 書き歩き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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